翻刻
〇鼠土中(ねずみとちう)より多(おほ)く生(しやう)ずる條(くだり)
安政二乙卯四月|初旬(しよじゆん)。石州一円地(せきしういちゑんち)より鼠を生(しやう)ずその数|幾千(いくせん)萬といふ
を知(し)らず。農民(のうみん)の撃殺(うちころ)すものを聚(あつ)めて。三十五万七千|余(よ)。然れどもその
鼠。減(げん)じたりといふを見ず。畠(はた)に入(い)りて麦(むぎ)を食(くら)ひ。大豆小豆(だいづせうづ)の蔓(つる)を啖荒(くひあら)
す。然(しか)るに翌(よく)五月に至(いた)り。何方(いづく)ともなく数千(すせん)の鼬(いたち)。来(きた)つてこの鼠を
逐(お)ふ。故(ゆゑ)に大半(たいはん)を減(げん)ずといふ。但(たゞし)この鼬何(いたちいづ)れより。来(きた)るといふを知(し)る
者(もの)なし。土人(どじん)のいはく海中(かいちう)より。忽然(こつぜん)として出(いで)たりとなん。かゝる奇譚(きだん)も
世(よ)に稀(まれ)也。土人のいはく去年(きよねん)甲寅。国中(こくちう)に竹実(たけのみ)を。生(しやう)ずること許多(あまた)也。農家(のうか)
五万|余石(よこく)を得(え)て。食用(しよくよう)となしたりしが。思(おも)ふにこの鼠は竹実(ちくじつ)の。土中に埋(うづも)れ
しが化(け)したる也。其證(そのしよう)は鼠(ねずみ)の頭(かしら)に。竹実(ちくじつ)の殻(から)を頂(いたゞ)くものあり。土中(どちう)を出(いで)て動(うご)
くに従(したか)ひその殻自(からおのづ)から落(おつ)るとぞ
按るに唐(たう)の弘道(こうだう)の初(はじ)め。梁州(りやうしう)の倉(くら)に大なる鼠(ねずみ)あり。長(たけ)二尺|余在(よあ)
りけるが。猫(ねこ)の為(ため)に噛(かま)れたり。于時数(ときにす)百|鼠忽然(そこつぜん)と来(きた)り。かの猫(ねこ)を噛(かみ)
殺(ころ)す。少選(しばらく)あつて萬余鼠(まんよそ)を聚(あつ)む。州(しう)。人を遣(つか)はして大|鼠(そ)を捕(とら)へ。うち
殺したりしかば。其|余(よ)はみな去といふ。この事本文に異(こと)なれども。鼠(ねずみ)の因(ちなみ)
によりて録(しる)す
〇蝦蟇巨蛇(がまこじや)と闘(たゝか)ふ條(くだり)
下総国(しもふさのくに)の土人の話(わ)に。同七月十六日。下総|相馬郡(さうまこほり)大|留(とめ)の里に一丈四五尺の
巨蛇(こじや)出る。このとき丈(たけ)一尺八九寸の。蝦蟇(がま)出てこれと闘(たゝか)ふ。互(たがひ)に雌雄(しゆう)を決(けつ)
することなし。人これを奇(き)なりとして。聞伝(きゝつた)へ来(きた)り見るもの。幾(いく)百といふをし
らず。然(しか)るにその夜陰(やいん)に及(およ)びて。猶闘(なほたゝか)ひを決(けつ)せねば。観(み)る人|倦(う)み呆(あき)れて家(いへ)
に帰(かへ)り。夜明て観(み)れどいまだ闘(たゝか)ふ。かくて十八日におよび。子の刻(こく)に至りて巨蛇(こじや)