翻刻
一隠岐対馬の如き
皇国地勢を離れ候箇所々々隣国ハ勿論互ニ合力防禦之手当被
聞食度事
此度横浜港江英吉利軍艦渡来三ケ条之儀申立何れも難聞届
筋ニ付其趣を以及応接候依而者速ニ兵端相開候事ニ付御■被
仰出候藩屏之任可尽粉骨候
二月
一二月廿三日三条大橋ニ板札立有之木像の首ハ右河原ニ捨有之
足利尊氏 二代義詮 三代義満
此者共之悪逆ハことニ先哲之所辞■ニ而番人之能所知にして
今更申ニ不及と雖トモ此影像ともを令斬戮ニ付而ハ贅言なから
聊其罪状示へし抑 大皇国之道たるや忠義之正二字を以て
其大本として神代以来之御風習なるを賊魁鎌倉頼朝世ニ出
奉悩 朝廷不臣之手始をいたし尋て北条足利ニ至り其罪悪
寔不可容天地神人共ニ所誅也雖然当時天下■乱名分■□之
世 朝廷御微力ニして其罪を糺至■■不能遺憾豈可不■■也
今彼等が遺物ヲ見ニ至テ真ニ奮激ニ不堪我々不敏なりといへ共吾
五百年之昔ニ出タランニハ生首引抜者ヲト握拳切歯し片時も止事不能
今也万事復古旧弊一新之時運追々不臣之奴原之罪科ヲ正スヘキノ
機会なる故吾之申合先其匪賊之大罪を罰し大義名分を明サンカ
為昨夜等持院ニ有たる所之尊氏始子孫奴原等之影像を
取出し其首刎是を梟首シ聊散旧来之積憤者也
年号
大将軍織田公ニ至り右之賊統断滅ス此方愉快といふへし然ルニ
夫ゟ以来今世ニ至り此奸賊ニ猶超過し其党許多にして
其罪悪足利等之右ニ出夫等之輩真ニ旧悪を悔ミ忠節を