琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: 琉球大学所蔵 琉球・沖縄関係資料 vol. 1

琉球入貢紀略 - 翻刻

琉球入貢紀略 - ページ 30

ページ: 30

翻刻

  中山世系(ちうさんせいけい) ∴天孫氏廿五紀(てんそんしにじふごき)─────────────────────┐                        【英祖王へ】   宋(そう)の淳煕(しゆんき)年間(ねんかん)、天孫氏廿五紀(てんそんしにじふごき)の裔孫(えいそん)徳微(とくび)、   その臣(しん)利勇(りゆう)、権(けん)を専(もつはら)にして位(くらゐ)を奪(うば)ふ、故(ゆゑ)に浦添(うらそひ)   按司(あんす)尊敦(そんとん)、義兵(ぎへい)を起(おこ)し利勇(りゆう)を討(う)つ、国人(くにたみ)尊敦(そんとん)   を推て位(くらゐ)に就(つ)く、これを舜天王(しゆんてんわう)と云(いふ)、 ○舜天王(しゆんてんわう)――――舜馬順煕(しゆんばじゆんき)――――義本王(ぎほんわう)   姓(せい)は源(げん)、名(な)は尊敦(そんとん)、父(ちゝ)は鎮西(ちんぜい)八郎(はちらう)為朝公(ためともこう)、母(はは)は大(おほ)   里(さと)按司(あんす)の妹(いもと)、宋乾道(そうけんだう)二年(にねん)丙戌(ひのえいぬ)降誕(がうたん)、《割書:乾道(けんだう)二年(にねん)は、|六条院(ろくてうゐん)仁安(しんあん)》   《割書:元年に|あたる》淳煕(じゆんき)十四年(じふよねん)丁未(ひのとのひつじ)則位(そくゐ)、嘉煕(かき)元年(くわんねん)丁酉(ひのとのとり)薨(がう)   在位(ざいゐ)五十一年(ごじふいちねん)、寿(じゆ)七十二歳(しちじふにさい)といへり、又(また)云(いふ)義本王(ぎほんわう)   童名(どうみやう)神号(しんがう)伝(つた)はらず、在位(さいゐ)十一年(じふいちねん)、歳(とし)五 十四(じふし)の時(とき)、英(えい)   祖(そ)に諭(ゆ)して曰(いはく)、今(いま)汝(なんぢ)政(まつりごと)に乗(じやう)せば、年(とし)豊(ゆたか)に民(たみ)泰(やす)   からん、宜(よろし)く大統(たいとう)を承(う)けつぎて、民(たみ)の父母(ふぼ)たる   べしといへるに、固(かた)く辞(じ)しけれども、群臣(ぐんしん)みな共(とも)   に勧(すゝ)めて位(くらゐ)に即(つか)しむ、義本(ぎほん)位(くらゐ)を譲(ゆづ)るの後(のち)、其(その)   隠(かく)るゝところを知(し)らず、故(ゆゑ)に寿薨(しゆがう)伝(つた)はらず、今(いま)   考(かんが)ふべからず、《割書:為朝公(ためともこう)の血統(けつたう)、舜天王(しゆんてんわう)より義本(ぎほん)まで|三代にして絶(た)ゆ、三王(さんわう)およそ七十三年、》