翻刻
あるし霖夷(りんい)大王のむすめ也此国は仏法流布の国なれ
は人民を守り衆生を済度せんか為に来りたりわれ
いやしき腹(はら)にはやとるあらしとて欽明天皇の御子
なりたる也我此国におひて蚕養(こかい)の神となるなり此
国豊浦にて綿と云事仕出したり則(すなはち)各夜(かくや)姫われ也
こゝもとの山もいさきよからす是より都ちかき富士
山へよちのほる也とて神はあからせ給ふ其後富士山
へとひ給ふ竹とりのおきなおかみ申けりと云々
つくは山の御神とふしの権現は一体分身にておは
しけり蚕養神と成給ふ時は本地勢至菩薩の
化身なりかゝる仏ほさつのへんさにておはす間
道の人は綿きぬをたつなり此恩徳へたをおそるゝ故也
もつはら大日遍照の御へんさと見へたりおろそかに
もやしなひぬる蚕をあつかう事なかれ綿にねりし
仙人は霊鷲山(りやうしゆせん)の釈迦牟尼仏也なをさりに思ふ
事もつたひなき次第なり
文政十一戊子年正月再板
信夫郡入江野村
徳宝院