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コレクション: 養蚕の書

蚕養由来 - 翻刻

蚕養由来 - ページ 12

ページ: 12

翻刻

あるし霖夷(りんい)大王のむすめ也此国は仏法流布の国なれ は人民を守り衆生を済度せんか為に来りたりわれ いやしき腹(はら)にはやとるあらしとて欽明天皇の御子 なりたる也我此国におひて蚕養(こかい)の神となるなり此 国豊浦にて綿と云事仕出したり則(すなはち)各夜(かくや)姫われ也 こゝもとの山もいさきよからす是より都ちかき富士 山へよちのほる也とて神はあからせ給ふ其後富士山 へとひ給ふ竹とりのおきなおかみ申けりと云々 つくは山の御神とふしの権現は一体分身にておは しけり蚕養神と成給ふ時は本地勢至菩薩の 化身なりかゝる仏ほさつのへんさにておはす間 道の人は綿きぬをたつなり此恩徳へたをおそるゝ故也 もつはら大日遍照の御へんさと見へたりおろそかに もやしなひぬる蚕をあつかう事なかれ綿にねりし 仙人は霊鷲山(りやうしゆせん)の釈迦牟尼仏也なをさりに思ふ 事もつたひなき次第なり 文政十一戊子年正月再板  信夫郡入江野村       徳宝院