翻刻
大津波末代噺種
嘉永七甲寅年十一月五日 地震後(ぢしんご)大津波(おほつなみ)にて大坂 木(き)
津川(づがわ)安治川(あぢがわ)破舩死人(はせんしにん)
○安治川口大舩百七十四 艘(そう)いさば上荷(うわに) 茶舟(ちゃふね)合して
百八十 餘艘(よそう)死人凡百五十人
○木津川口大舩五百九十艘いさば上荷茶舟合して
八百三十餘艘死人凡五百十人
門分け ○橘通(たちはなどふり)にて四十八人
○南堀江四丁目五丁目にて三十三人
○よしや町二人○下ばくろ四十三人
○四郎兵衛町にて四十五人
○玉手町人○幸町弐百九人
○金屋町十一人○寺嶋四十二人
○勘介嶋五十三人○大黒町六人
○新戎町八人安治川口百五十人
死人凡合《割書:男弐百六十三人|女三百八十七人》
右は十一月十一日迄に川中より
引揚(ひきあぐ)る處也 此餘(このよ)死人 未(いまだ)詳(つまびらか)ならず
他国(たこく)より入込(いりこみ)の人々 舩頭(せんどう)とも
此度(このたび)の 溺(でき)死凡六千餘人なり