翻刻
祖師堂(そしたう) 《割書:本堂(ほんたう)の左にならふ|日蓮(にちれん)上人の像(さう)を安(あん)す》 七面堂(しちめんたう) 《割書:同し堂前(たうせん)にあり当寺(たうし)の鎮守(ちんしゆ)とあかむ此(この)七面尊(しちめんそん)|は身延山(みのふさん)奥(おく)の院(ゐん)の七面(しちめん)と同作(とうさく)にてかしこより》
《割書:当寺(たうし)に遷(うつ)すと|いふ》
相伝(あひつたふ)当寺(たうし)は浄心院殿妙秀大姉(しやうしんゐんてんめうしうたいし)の菩提(ほたい)を吊(とむら)はせ給はんか為(ため)に御建(ここん)
立(りふ)ありし精舎(しやうしや)なりと当時(そのかみ)浄心尼(しやうしんに)は小堀正一(こほりまさかつ)入道(にうたう)宗甫(そうほ)の妾(せふ)なり
寛永(くはんえい)十八年辛巳 大樹(たいしゆ) 御誕生(こたんしやう)ありし頃(ころ)正一入道(まさかつにうたう)の忠心(ちゆうしん)を
補(おきな)ふの一分(いちふん)に備(そなへ)んと春日(かすか)の局(つほね)に就(つい)て 御乳母(おんめのと)となり
大樹(たいしゆ)を育(いく)し奉(たてまつ)る故(ゆゑ)に浄心尼(しやうしんに)卒(そつ)するの後(のち)も猶(なほ)生前(しやうせん)の勤労(きんらう)を思召(おほしめし)出(いた)
され万治(まんち)元年戊戌当寺(たうし)境内(けいたい)若干(そくはく)の地(ち)を封(ほう)し賜(たま)ひ又 当舎(たうしや)経(けい)
営(えい)の料(れう)として大(おほい)に資財(しさい)を喜捨(きしや)し給ひ日義(にちき)上人をして当寺(たうし)開山(かいさん)たらしむ乃(すなはち)浄心尼(しやうしんに)の遺廟(ゆゐへう)を建(たて)又 香燭(かうしよく)の料(れう)として同三年庚子 寺(し)
産(さん)を付(ふ)せられたり 《割書:当寺(たうし)境内(けいたい)に阿部侯(あへこう)侍従(ししゆう)忠秋(たゝあき)の母堂(ほたう)加藤主計頭(かとうかすへのかみ)清正(きよまさ)の息女(しくしよ)蓮成院(れんしやうゐん)|殿日宗(てんにつそう)大姉の墓(はか)あり》
道本山霊巌寺(たうほんさんれいかんし) 同し北(きた)に隣(とな)る浄土宗(しやうとしう)関東(くはんとう)十八檀林(しふはちたんりん)の一室(いつしつ)にして宏壮(くわうさう)の
梵刹(ほんせつ)なり本尊(ほんそん)は阿弥陀如来(あみたによらい)開山(かいさん)は霊巌和尚(れいかんおしやう)たり 《割書:和尚 諱(いみな)は松風檀蓮社(しようふうたんれんしや)|雄誉(をうよ)と号(かう)す浄土高僧(しやうとかうそう)》
《割書:伝(てん)に姓(せい)は里見氏(さとみうち)南総小糸(なんそうこいと)の産(さん)なり十三歳 同県(とうけん)青竜寺(せいりやうし)の秀岩師(しうかんし)の室(しつ)に入 剃染(ていせん)す其性(そのせい)明敏(めいひん)に|して寔(まこと)に檀林(たんりん)の英(えい)たり寛永(くはんえい)十八年九月一日 化寂(けしやく)す報寿(はうしゆ)八十云々又 浄土伝灯系図(しやうとてんとうけいつ)に南総(なんそう)》
《割書:天羽郡(あまはこほり)佐貫(さぬき)の人或云 讃州(さんしう)府中(ふちゆう)の産(さん)姓(せい)は今川氏(いまかはうち)沼津(ぬまつ)浄運院(しやううんゐん)開山(かいさん)の|法嗣(ほふし)なりと和尚 開創(かいさう)の精舎(しやうしや)数箇寺(すかし)あり枚挙(まいきよ)にいとまあらす依(よつて)是(これ)を略(りやく)す》 台旨(たいし)によりて
寺産(しさん)を付(ふ)せらる寮舎(れうしや)僧坊(そうはう)甍(いらか)を連(つら)ねて魏然(きせん)たり正元坊(しやうけんはう)か造立(さうりふ)
せし銅像(とうさう)の地蔵尊(ちさうそん)は大江戸六地蔵の一員(いちゐむ)にして総門(そうもん)の内(うち)正面(しやうめん)に
対(むか)ふ毎歳四月朔日より同十日まて阿弥陀経千部(あみたきやうせんふ)読誦修行(とくしゆしゆきやう)あるか
ゆへに道俗(たうそく)群詣(くんけい)せり
相伝(あひつたふ)寛永(くはんえい)年間 当寺(たうし)開山(かいさん)霊巌和尚(れいかんおしやう)或日(あるひ)大江戸の東渚(とうしよ)を顧(かへりみ)て侍(し)
者(しや)に謂(いつ)て云く我 大藍(てら)を此地に建(たて)む侍者(ししや)の云く江潮(こうてう)浪(なみ)高(たか)く鉢(はつ)
盂(う)底(そこ)空(むな)し爭(いかて)巨楹碩梁(きよえいせきりやう)を架(か)せん師(し)笑(わらつて)云く俟(まて)夫(それ)日あらん於是(こゝにおいて)師(し)
化疏(けそ)を筆(ひつ)し諸檀家(しよたんか)を勧励(くはんれい)す一簀(いつき)毎(こと)に十念(しふねん)して脈譜(みやくふ)を結縁(けちえん)する
か故に四輩(しはい)競靡(きそひなひき)広汀(くわうてい)日あらすして陸地(くろ)となる 《割書:今 霊巌島(れいかんしま)と|称(しよう)するは其 旧地(きうち)也》 其地早く
成て梵刹(ほんせつ)を開創(かいさう)し霊巌寺(れいかんし)と号すこゝに於て学資(かくし)五十石を給ふ
爾(しかりしより)法幢(ほつとう)盛(さかん)に起(おこり)て五百の義竜(きりよう)恆(つね)に蟠(わたかま)る然に珂山(かさん)和尚の世 《割書:当寺第二世|松蓮社大誉(しようれんしやたいよ)》