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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之18 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之18 - ページ 21

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 《割書:頑魯(くはんろ)と号(かう)す|泉州堺(せんしうさかい)の人也》 明暦(めいれき)丁酉の回録(くはいろく)に罹(かゝ)り悉(こと〳〵く)灰燼(くはいしん)となるの後今の地に移(うつ)  さるゝといへり其頃(そのころ)は今の地も海浜(かいひん)にして軏(たやすく)寺院(しゐん)構営(こうえい)もなりかた  かりしを珂碩和尚(かせきおしやう) 《割書:珂山和尚の弟子にして|奥沢九品仏(おくさはくほんふつ)の開基(かいき)也》 十方に勧進(くはんしん)して地を築固(つきかた)め諸(しよ)  堂(たう)を建立(こんりふ)せられしとなり 当知山本誓寺(たうちさんほんせいし) 重願院(ちゆうくはんゐん)と号す同通りの向側にあり浄土宗江戸四  箇寺(かし)の一員(いちゐむ)たり 《割書:京都(みやこ)知恩院(ちおんゐん)|に属(そく)せり》 唐仏(たうふつ)の阿弥陀如来を本尊とす  相伝(あひつたふ)此本尊は相州小田原の漁者(きよしや) 《割書:其名を|詳(つまひらか)にせす》 魚網(きよまう)を沈(ちん)して彼(かの)地の海中  に得(え)て後(のち)霊示(れいし)に任(まか)せ当寺に安し奉るといへり当寺往古は小田原に  ありて伝蓮社曜誉酉冏(てんれんしやえうよいうけい)和尚 《割書:酉冏師は北総飯沼(ほくそういひぬま)|弘経寺(くきやうし)の第三世也》 創建(さうけん)し藤枝氏(ふちえたうち)開基(かいき)の  精舎(しやうしや)なりしか文禄(ふんろく)四年丁未 厳命(けんめい)に依寺を大江戸に移す 《割書:其|旧》  《割書:地は今の御廓内(おんくるはうち)|日比谷(ひゝや)御門の辺なり》 貞蓮社大誉れ(しやうれんしやたいよ)上人文賀和尚 中興(ちゆうこう)の開祖となる 《割書:伝灯系図(てんとうけいつ)|に念誉(ねんよ)と》  《割書:あり俗姓(そくしやう)は田中氏相州小田原の人なり無双の|碩学(せきかく)にして門下に名僧おほしといへり》 其後馬喰町の辺にて地を賜(たま)ひし頃  水戸中納言頼房卿(みとちゆうなこんよりふさきやう)の御母堂(おんほたう)英勝院殿(えいしようゐんてん)当寺を修造(しゆさう)なし給へり 《割書:当寺もと|馬喰町に》  《割書:ありし頃まては朝鮮(てうせん)の三使(さんし)来聘(らいへい)のみきりは鴻臚館(こうろくはん)たり天和二年 回録(くはいろく)の後今の地にうつりてよりは|東本願寺(ひかしほんくわんし)を以て朝鮮(てうせん)人の旅館(りよくはん)に定め給へり》  地蔵尊石像(ちさうそんせきさう) 《割書:当寺 境内(けいたい)に安置(あんち)す始(はしめ)は卵塔(らんたふ)の中にありて人の印の石なりしか享保(きやうほ)の|霊験(れいけん)ありとて大に群集まる(くんしふ)せしとなり今一宇の香堂(みたう)を建(たて)てこれを安置(あんち)す奇(き)》  《割書:願(くはん)するに猶(なを)霊応(れいおう)|いちしるしといへり》 一蝶寺(いつてふてら) 同所東の方 海辺(うみへ)新田(うみへしんてん)薮(やふ)の内(うち)にあり京師(みやこ)妙心寺(めうしんし)派の禅(せん)  宗(しう)蒼竜山(さうりうさん)宜雲寺(きうんし)と号す元禄(けんろく)七年甲戌 創建(そうこん)の梵園(ほんゑむ)にして卓禅(たくせん)  和尚開山たり英一蝶翁(はなふさいつてふをう)曽(かつて)当寺に寓居(くうきよ)す其頃の遊(すさみ)とて仏殿(ふつてん)僧房(そうはう)  等(とう)の屏障(へいしやう)悉(こと〳〵)く翁(おきな)の画(ゑ)なり故に世俗(せそく)一蝶寺(いつてふてら)と字(あさな)す 《割書:一蝶の伝は第三巻|に見へたり》 日照山法禅寺(につせうさんほふせんし) 同所南の小路にあり浄土宗にして都師(みやこ)知恩院(ちおんゐん)に属(そく)す  本尊阿弥陀如来の像(さう)は仏工(ふつこう)安阿弥(あんあみ)の作なり 《割書:世に海中 出現(しゆつけん)の|霊像(れいさう)と称(しよう)す》 左右二十五  菩薩(ほさつ)の像(さう)は雲中に羅列(られつ)して常は行者を護念(こねん)し賜(たま)ふ所の体粧(ていしやう)  を模擬(ほき)す 《割書:奥院(おくのゐん)と称(しよう)するもまた極楽(こくらく)上品上生の体相(ていさう)ありて|荘厳(しやうこん)すこふる美(ひ)を尽(つく)せり故に世俗(せそく)極楽寺(こくらくし)と字す》 開山は長蓮社英誉心(ちやうれんしやえいよしん)  阿(あ)上人と号す 《割書:慶長(けいちやう)七年九月|廿二日に化寂(けしやく)す》 濃州(しやうしう)恵那郡(えなこほり)粕塚(かすつか)の住人(ちゆうにん)俗性(そくしやう)は伊賀氏(いかうち)  にして三郎五郎則俊(のりとし)と号く 《割書:伊賀左衛門佐 則吉(のりよし)の|三男なり後伊賀守に改む》 弘治(こうち)元年乙卯粕塚に