翻刻
芭蕉庵旧址(はせをあんのきうし) 同し橋の北詰(きたつめ)松平遠州候(まつたひらゑむしうこう)の庭中(ていちゆう)にありて古池(ふるいけ)の形(かたち)今
猶 存(そん)せりといふ延宝(えむはう)の末(すゑ)桃青翁(とうせいをう)伊賀国(いかのくに)より始(はしめ)て大江戸(おほえと)に来り
杉風(さんふう)か家に入後 剃髪(ていはつ)して素宣(そせん)と改む又 杉風子(さんふうし)より芭蕉庵(はせをあん)の
号(な)を譲請(ゆつりうけ)夫より後此地に庵(いほり)結ひ泊船堂(はくせんたう)と号(かう)す 《割書:杉風子(さんふうし)俗称(そくしやう)|を鯉屋(こひや)藤左衛門》
《割書: といふ江戸小田原(えとをたはら)町の魚牙(なや)子たりし頃(ころ)の籞(いけす)やしきなり後此 業(わさ)をもせさりしかは生洲(いけす)に| 魚もなく自(おのつから)水面(すいめん)に水草(みくさ)覆(おほ)ひしにより古池の如(こと)くになりしゆへに古池の口すさみあり》
《割書: しといへり|》
芭蕉を移す辞
菊は東籬にさかへ竹は北窓の君となる牡丹は紅白の是非ありて世塵にけかさる荷葉は
平地にたゝす水清からされは花咲すいつれの年にや棲を此境にうつす時芭蕉一もとを植ゆ
風土芭蕉の心にやかなひけん数株茎をそなへその葉茂りかさなりて庭をせはめ
萱か軒端もかくるゝはかりなり人呼て草庵の名とす旧友門人ともに愛して芽をかき
根をわかちて所々にをくる事年々になんなりぬ一とせみちのくの行脚おもひ立て芭蕉庵
すてに破れんとすれはかれは籬の隣に地をかへてあたり近き人〳〵に霜の覆ひ風のかこひ
なと頼置てはかなき筆のすさみにも書のこし松はひとりになりぬへきにやと遠き旅
寝のむねにたゝまり人〳〵のわかれ芭蕉のなこりひとかたならぬ侘しさも終に三年の
春秋を過してふたゝひはせをに涙をそゝく今年五月の半花橘のにほひもさすかに
遠からされは人〳〵の契りも昔にかはらす猶此あたりえたちさらて旧き庵もやゝちかう
三間の茅屋つき〳〵しう杉の柱いと清けに削なし竹の枝折戸やすらかに芦垣あつう
しわたし南に向ひ池に臨むて水楼となす地は富士に対して柴門景をすゝめてなゝめ
なり浙江の潮三股の淀にたゝへて月をみるたよりよろしけれは初月の夕より雲をいとひ
雨をくるしむ名月のよそほひにとてまつ芭蕉をうつす其葉ひろふして琴をおほふに
たれり或はなかは吹折て鳳鳥の尾を痛しめ青扇やふれて風を悲しむたま〳〵花咲
も花やかならす茎太けれとも斧にあたらすかの山中不材の類木にたくへてその性よし
僧懐素は是に筆をはしらしめ張横渠は新葉を見て修学の力とせしとなり予その
ふたつをとらすたゝこのかけに遊ひて風雨に破れやすきを愛す以上
古池や蛙とひこむ水のをと はせを
花の雲鐘は上野か浅草か 同
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 同
明月や角へさしくる汐かしら 同
明月や池をめくりて夜もすから 同
初雪やさひはひ庵にまかりあり 同
いつれも此地にありし頃の吟詠なり
《割書: 翁(おきな)は伊賀国(いかのくに)上野(うへの)の産(さん)俗性(そくしやう)は松尾氏宗房(まつをうちむねふさ)といふ通称(つうしよう)は忠右衛門或は甚七郎とも号(なつく)るとそ実(しつ)に| 中興(ちゆうこう)の俳仙(はいせん)にして一家(いつか)の祖(そ)たり業(けふ)を拾穂軒季吟(しふすいけんききん)叟(そう)にうけて風月(ふうけつ)の才(さえ)に長(ちやう)す西行(さいきやう)宗祇(そうき)の》
《割書: 跡(あと)を追慕(ついほ)するの志(こころさし)ありて身(み)を風雲(ふううん)にまかせ生涯(しやうかい)遠遊(ゑむいう)を旨(むね)とし吉野(よしの)竜田(たつた)の花(はな)紅葉(もみち)に| うかれ更科(さらしな)越路(こしち)の月(つき)雪(ゆき)にさまよひ終(つひに)元禄七年十月十二日難波(なには)の偶居(くうきよ)にして身まかり》
《割書: ぬるよし其角(きかく)かあらはせる芭蕉翁(はせををう)| 終焉(しゆうえむ)の記(き)にみえたり》
神明宮(しんめいくう) 同所 森下(もりした)町にあり猿江(さるえ)の泉養寺(せんやうし)別当(へつたう)たり 《割書:天台宗東叡山(てんたいしうとうえいさん)|に属(そく)すこの寺(てら)》