東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之18 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之18 - ページ 82

ページ: 82

翻刻

【照法山本久寺の続き】  号(かう)す当寺(たうし)に安置(あんち)する所(ところ)の宗祖大士(しうそたいし)の像(さう)は日朗師(にちらうし)御首(みくし)を彫刻(てうこく)  し日法師(にちほふし)全体(せんたい)を造(つく)り添(そへ)られしといふ体中(たいちゆう)三寸に六寸の首(しゆ)  題(たい)の札(ふた)を収(をさ)めたり日朗(にちらう)およひ日法(にちほふ)等(とう)の真跡(しんせき)なりといへり  此(この)御影(みえい)始(はしめ)谷中(やなか)感応寺(かんおうし)に安置(あんち)す元禄(けんろく)四年 彼寺(かのてら)改宗(かいしう)の時(とき)  檀家(たんか)に八牧弥宗(やまきやそう)と云へる有信(うしん)の人ありしか此(この)影像(えいさう)ならひに  三 光天子(くはうてんし)大黒天(たいこくてん)等(とう)を其家(そのいへ)にうつして崇教(そうきやう)ありしを後(のち)当(たう)  寺(し)に安置(あんち)し奉るとなり境内(けいたい)安置の七面大明神(しちめんたいみやうしん)は花洛村汲む(くはらくむらくも)の  尼御所(あまこしよ)随竜寺殿(すゐりやうしてん)仕女(しちよ)数馬女(かすまめ)感得(かんとく)の霊像(れいさう)にして故(ゆへ)ありて当寺(たうし)  に安置(あんち)し奉るとなり 正覚山明源寺(しやうかくさんめうけんし) 同所 北本所(きたほんしよ)番場町(はんは)町にあり日蓮宗(にちれんしう)にして下(しも)  野(つけ)佐野(さの)妙顕寺(めうけんし)に属(そく)す建武年間(けんむねんかん)の草創(さう〳〵)にして中老(ちゆうらう)僧(そう)天目(てんもく)  上人 開山(かいさん)たりといふ総門(そうもん)の額(かく)正覚山(しやうかくさん)の三大字は平林惇信(ひらはやししゆんしん)の  筆跡(ひつせき)にして消日居(せうしつきよ)と記し(しる)してあり 牛宝山最勝寺(きうはうさんさいしようし) 明王院(みやうわうゐん)と号(かう)す同所表町にあり天台宗(てんたいしう)にして  東叡山(とうえいさん)に属(そく)す本尊(ほんそん)不動明王(ふとうみやうわう)の像(さう)は良弁僧都(らうへんそうつ)の作(さく)なり当(たう)  寺(し)は牛御前(うしのこせん)の別当寺(へつたうし)にして貞観(ちやうくわん)二年庚辰 慈覚大師(しかくたいし)草創(さう〳〵)  良本阿闍梨(りやうほんあしやり)開山(かいさん)たり寛永年間(くはんえいねんかん)   大樹(たいしゆ) 此辺(このあたり)御遊猟(こいうりやう)  の頃(ころ)屢(しは〳〵)当寺(たうし)へ  入御(しゆきよ)あらせられしにより其頃(そのころ)は仮(かり)の御殿(こてん)抔(なと)  栄構(えいこう)なし置(おか)れたりとなり 《割書:今(いま)も御殿(こてん)跡(あと)と称(しよう)する地(ち)に|山王権現(さんわうこんけん)を勧請(くはんしやう)す》 牛島神明宮(うししましんめいくう) 同所に並(なら)ふ相伝(あひつた)ふ貞観(ちやうくはん)年間(ねんかん)の鎮座(ちんさ)なりと別(へつ)  当(たう)を神宮寺(しんくうし)と称(しよう)して最勝寺(さいしやうし)より兼帯(けんたい)す 《割書:江戸名所記(えとめいしよき)云 安徳帝(あんとくてい)の|寿永(しゆえい)年間 本所(ほんしよ)の郷民(こうみん)》  《割書:夢(ゆめ)みらく伊勢大神宮(いせたいしんくう)虚空(こくう)よかけり大光明(たいくはうみやう)の内(うち)に微妙(みみやう)の御声(おんこゑ)にて我(か)此 土(と)安穏(あんおん)天人(てんにん)常(しやう)|充満(しゆまん)と云 法華経(ほけきやう)寿量品(しゆりやうほん)の文を唱(とな)へ我(われ)はこれ伊勢(いせ)の大神宮(たいしんくう)なりとのたまふとみて夢(ゆめ)覚(さめ)》  《割書:たり郷中(こうちう)の人民(しんみん)互(たかい)に語(かた)りあいするにすこしも夢(ゆめ)の趣(おもむき)たかふ事なし依(よつて)奇異(きい)とし宮処(くうしよ)をかまへ|伊勢(いせ)の御神(おんかみ)を勧請(くはんしやう)し奉るよしみえたり》   《割書:因(ちなみ)に云 牛島(ふししま)は北条家(ほうてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)にも江戸牛島(えとうししま)四ヶ村とありて富永(とみなか)弥(や)四郎の所領(しよりやう)の中(うち)|なり今も本所(よんしよ)中(なか)の郷(こう)辺(あたり)より須崎(すさき)まてこの総名(そうみやう)とせり江戸(えと)の古図(こつ)に回向院(ゑかうゐん)の辺に牛島(うししま)と記(しる)して|あり》 太子堂(たいしたう) 同所元町にあり天台宗(てんたいしう)如意輪寺(によいりんし)に安置(あんち)す本尊(ほんそん)聖徳太子(しやうとくたいし)

現代語訳

【照法山本久寺の続き】 当寺に安置されている宗祖(日蓮)大士の像は、日朗師が首を彫刻し、日法師が全体を造り添えたという。体の中に三寸六分の首題の札を収めてあり、日朗および日法等の真跡であるという。この御影は最初谷中の感応寺に安置されていたが、元禄四年にその寺が改宗した時、檀家に八牧弥宗という信仰深い人がいて、この影像ならびに三光天子、大黒天等をその家に移して崇拝していたものを、後に当寺に安置したという。境内に安置の七面大明神は、花洛村雲の尼御所随竜寺殿の仕女数馬女が感得した霊像であって、故あって当寺に安置したという。 正覚山明源寺 同所北本所番場町にあり、日蓮宗で下野佐野の妙顕寺に属する。建武年間の草創で、中老僧天目上人が開山したという。総門の額「正覚山」の三大字は平林惇信の筆跡で、消日居と署名してある。 牛宝山最勝寺 明王院と号する。同所表町にあり、天台宗で東叡山に属する。本尊の不動明王の像は良弁僧都の作である。当寺は牛御前の別当寺で、貞観二年庚辰に慈覚大師が草創し、良本阿闍梨が開山した。寛永年間、将軍がこの辺りで御遊猟の頃、しばしば当寺へ入御されたので、その頃は仮の御殿などを立派に造り置かれたという。(今も御殿跡と称する地に山王権現を勧請している) 牛島神明宮 同所に並んでいる。相伝では貞観年間の鎮座という。別当を神宮寺と称して最勝寺より兼帯している。(江戸名所記によると、安徳帝の寿永年間、本所の郷民が夢を見た。伊勢大神宮が虚空より懸かり、大光明の内に微妙な御声で「我此土安穏天人常充満」と法華経寿量品の文を唱え、我はこれ伊勢の大神宮なりとおっしゃるのを見て夢が覚めた。郷中の人民が互いに語り合うと、少しも夢の趣が違わないので、奇異として宮処を構え、伊勢の御神を勧請し奉ったとある。因みに言うと、牛島は北条家の分限帳にも江戸牛島四ヶ村とあって、富永弥四郎の所領の中である。今も本所中の郷辺りより須崎までをこの総名としている。江戸の古図に回向院の辺に牛島と記してある) 太子堂 同所元町にあり、天台宗如意輪寺に安置している。本尊は聖徳太子である。

英語訳

[Continuation of Shōhōzan Honkyūji Temple] The statue of the founding patriarch (Nichiren) enshrined at this temple is said to have had its head carved by Master Nichirō and the body completed by Master Nichihō. Inside the body is contained a three-sun six-bu slip with the Daimoku (sacred title), which is said to be an authentic work by Nichirō and Nichihō. This sacred image was originally enshrined at Kan'ōji Temple in Yanaka, but when that temple converted to another sect in Genroku 4, a devout parishioner named Yamaki Yasō took this statue along with images of Sankō Tenshi and Daikokuten to his home for worship, and later they were enshrined at this temple. The Shichimen Daimyōjin enshrined within the temple grounds is a sacred image received through divine inspiration by a lady-in-waiting named Kazuma-me who served at the Zuiryūji-den, a convent in Karakumurakumo in the capital, and for certain reasons it came to be enshrined at this temple. Shōgakuzan Myōgenji Temple - Located in Banba-chō, North Honjo in the same area. It belongs to the Nichiren sect and is affiliated with Myōkenji Temple in Sano, Shimotsuke. It was founded during the Kenmu period by Chūrō priest Tenmoku Shōnin. The three large characters "Shōgakuzan" on the main gate plaque are in the calligraphy of Hirabayashi Shunshin, signed "Shōjitsu-kyo." Gyūhōzan Saishōji Temple - Also called Myōō-in. Located on Omotemachi in the same area, it belongs to the Tendai sect under Tōeizan. The statue of the principal deity Fudō Myōō was created by Priest Rōben. This temple serves as the administrator temple for Ushi-gozen and was founded by Great Master Jikaku in Jōgan 2 (Kōshin year), with Ryōhon Ajari as the founding priest. During the Kan'ei period, the Shogun frequently visited this temple during his hunting excursions in this area, so temporary palace buildings were grandly constructed. (Even now, Sannō Gongen is enshrined on the site called the palace ruins.) Ushijima Shinmei Shrine - Located adjacent to the same area. According to tradition, it was established during the Jōgan period. Its administrator is called Jingūji and is managed concurrently by Saishōji Temple. (According to the Edo Meisho-ki, during the Jūei period of Emperor Antoku, the villagers of Honjo had a dream in which Ise Grand Shrine appeared from the void, and within great radiance, a sublime voice chanted the text from the Lotus Sutra's Juryō chapter "In this land of mine there is peace and tranquility, with heavenly beings constantly filling it," declaring "I am the Great Ise Shrine." When the villagers shared their dreams, they found them identical in every detail, so considering it miraculous, they constructed a shrine and invited the deity of Ise. Incidentally, Ushijima appears in the Hōjō family's territorial records as "Edo Ushijima Four Villages" within the domain of Tominaga Yashirō. Even now, this general name applies to the area from Honjo Naka-no-gō to Susaki. Ancient maps of Edo show "Ushijima" marked near Ekōin Temple.) Taishi-dō - Located in Motomachi in the same area, enshrined at the Tendai sect temple Nyoirin-ji. The principal deity is Prince Shōtoku.