翻刻
ものも失(うせ)ず。這(こ)は誠(まこと)に不測(ふしぎ)なり。凡(およ)そ間近(まちか)く火災(くわさい)あり。狼狽(うろたへ)#1て
逃(にぐ)るときは。僥倖(さいはひ)にして焼残(やけのこ)るとも。家財(かざい)は大半(たいはん)賊(ぞく)のために。偸(ぬす)
まるゝものと聞(き)く。然(しか)るに亥刻(よつ)の地震(ぢしん)より。今(いま)巳(み)の刻(こく)に及(およ)べるまで。
締(しま)りもあらず。人(ひと)も居(ゐ)ぬ。家(いへ)に在(あ)る物(もの)の失(うせ)ぬは。実(げ)に有(あり)がたき
君(きみ)が代(よ)の。御|恵(めぐみ)こそ尊(たふ)とけれ。然(しか)はあれどもそのむかし。聖代(せいたい)也と
称(たゝ)へたる。延喜(えんき)天暦(てんりやく)の御世(みよ)にだに。悪人(あくにん)は絶(た)えずとなん。されば今(いま)の
御世(みよ)とても。盗心(ぬすみこゝろ)のなきものあらず。然(しか)るに窃盗(せつたう)無頼(ぶらい)の族(やから)も。命(いのち)惴(をしま)ぬ
者(もの)のなければ。この大震(たいしん)に恐怖(きようふ)して。盗(ぬす)み心(こゝろ)も失(うせ)にしならん。とかの雄士(おのこ)
は語(かた)りにき。それより後(のち)も猶(なほ)揺返(ゆりかへ)しの。来(きた)らんことを懼(おそ)れツヽ。己(おの)が家(いへ)に
臥(ふ)すものなく。日中(ひる)こそあれ薄暮(くれがた)より広(ひろ)き所(ところ)に仮屋(かりや)を補理(しつらひ)。みな
残(のこ)りなくこゝに出(いで)て。夜(よ)を明(あか)さぬ者(もの)もなければ。市中(しちう)表裏(おもてうら)明家(あきや)と成(なり)
て。これを護(まも)れる人さへあらねど。盗人(ぬすびと)徘徊(はいくわい)せざると見えて。何方(いづく)に
ても物(もの)一箇(ひとつ)。窃(ぬす)まれたりといふを聞(きか)ず。場所(ばしよ)によりてその仮(かり)屋も。一二
町|隔(へだ)ちしあり。また夫(それ)よりも程(ほど)近(ちか)なる。方(かた)はあれども。銘々(めい〳〵)に其門(そのかど)
辺(べ)に在(ある)にあらねば。夜(よ)の間(ま)に来り恣(ほしいまゝ)に。家財雑具(かざいざふぐ)を奪(うば)ふとも。誰(たれ)
咎(とが)むるものもなきを。斯(かく)家毎(いへごと)に無事(ぶじ)なるは。実(じつ)にかの雄士(おのこ)がいへるごとく。
賊等(ぞくら)も恐怖(きようふ)せしなるべし。偖(さて)それより四五日を経(へ)て。六日七日の頃(ころ)なりけん。
今夜(こんや)かならず津浪(つなみ)ありて。芝高輪(しばたかなは)はいふにおよばず。大川にも逬(さかのぼ)り。神(かん)
田明神(だみやうじん)の坂下(さかした)まで。潮(うしほ)大(おほい)に来るべし。と誰(たれ)いふとなく流言(りうげん)す。此|頃(ころ)恐懼(きようく)
に魂(たましひ)も。身に副(そは)ざる人々|等(ら)。是(これ)を聞(きく)より前後(ぜんご)をも。思ひ𣿖(たど)らず駭(おどろ)き
て。虚(きよ)を以(もつ)て虚を告(つぐ)る。こゝに於(おい)て無智(むち)の小人(せうじん)。婦女(ふぢよ)小児(せうに)の輩(ともがら)は。恐(おそ)れ惑(まど)ひて
力(ちから)に協(かな)ふ。資財(しざい)を負(お)ひ或(ある)は荷(にな)ひて。高(たか)き方(かた)へと立(たち)さること。幾千万(いくせんまん)といふ
現代語訳
何一つ失われていなかった。これは実に不思議なことである。およそ近くで火災があり、慌てふためいて逃げるときは、幸いにして焼け残ったとしても、家財の大半は賊に盗まれるものだと聞く。しかるに、亥の刻(午後10時頃)の地震より今の巳の刻(午前10時頃)に至るまで、戸締まりもなく、人も居ない家にある物が失われていないのは、実にありがたいことで、この御世(君主の治世)のご恩恵こそが尊いことである。とはいえ、その昔、聖代と称えられた延喜・天暦の御世にさえ、悪人は絶えなかったという。それゆえ今の御世においても、盗みの心がない者ばかりとは限らない。しかしながら、窃盗や無頼の輩も、命を惜しまない者はいないのだから、この大地震に恐怖して、盗みの心も消えてしまったのであろう、とかの男は語った。それより後も、なお余震が来ることを恐れながら、自分の家に寝る者はなく、昼間はともかく、夕暮れ時から広い場所に仮屋を設け、みな残らずそこに出て夜を明かさない者もなかったので、市中の表も裏も空き家となった。これを守る人さえいないにもかかわらず、盗人が徘徊した様子はなく、どこでも物一つ盗まれたという話を聞かなかった。場所によってはその仮屋が一、二町も離れているところもあり、また、それより近い所もあったが、各々がその門のあたりに居るわけではないので、夜の間に来て勝手に家財雑具を奪っても、誰も咎める者がいないはずなのに、このように家ごとに無事であったのは、まさにかの男が言ったように、賊どもも恐怖したからに違いない。さて、それから四、五日を経て、六日・七日の頃であったろうか。今夜必ず津波があって、芝・高輪はいうに及ばず、大川(隅田川)にも遡り、神田明神の坂下まで潮が大いに押し寄せるであろう、と誰が言い出したともなく流言が広まった。この頃、恐怖に魂も身に添わないほどになっていた人々は、これを聞くより前後の見境もなく驚き、根拠のないことをさらに根拠のないこととして告げ広めた。ここにおいて、無知な小人、婦女子・子供の類は恐れ惑い、力の及ぶ限りの財産を背負い、あるいは担いで、高い方へと立ち去ること、幾千万ともいう(ほどの人数であった)。