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コレクション: SHOSHO「能登」

続汲古北徴録 - 翻刻

続汲古北徴録 - ページ 61

ページ: 61

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【右丁】 【一行あるヵ】 出き村もおへらせいろ〳〵こま〳〵のけがれとも出き申事は御【朱筆】「観」 【朱筆】「「音様之」はせに無御座候ゆへにて候とおの〳〵歎申就者あまりに 無勿躰候間七村之うち子共此春すゝめをいたしはせに御 堂をたて申と彼御坊へ御理申候へはいま何と被仰候て 御観音様御かへしなく候事七村のうち子共迷惑申候御観音 のくたゝりと申事は七村之内御観音堂のむかしなるしめ の村は【朱筆】「田」畠過分の高にて御座候を此近年あくすれに           ○慶長元年ほま村あれ候か行 まかり成一村多人うせ申候○其外何と村々年々にあくすれ に成申事迷惑申候七村之百姓共相煩かつたい物くるいに なり又はこしぬけ子共もそたち不申いろ〳〵ふしき共いて き申間御別當さまも此度はせに御寺御たて候てはん 【左丁】 まいを進候唯分うち子共馳走可申候而百姓之ふんとして か様ニ申上候事はあまりに迷惑さのまゝ申上候此等之趣 畏り思召之聞召分御観音様はせへ御かへり被成候様に 被仰付候者七村之うち子共両山忝可望候仍訟状 恐惶謹言                  七村之うち子共  【朱筆】「慶長十一年」         惣中     八月廿三日 御奉行衆様     まいる