翻刻
【右丁】
【一行あるヵ】
出き村もおへらせいろ〳〵こま〳〵のけがれとも出き申事は御【朱筆】「観」
【朱筆】「「音様之」はせに無御座候ゆへにて候とおの〳〵歎申就者あまりに
無勿躰候間七村之うち子共此春すゝめをいたしはせに御
堂をたて申と彼御坊へ御理申候へはいま何と被仰候て
御観音様御かへしなく候事七村のうち子共迷惑申候御観音
のくたゝりと申事は七村之内御観音堂のむかしなるしめ
の村は【朱筆】「田」畠過分の高にて御座候を此近年あくすれに
○慶長元年ほま村あれ候か行
まかり成一村多人うせ申候○其外何と村々年々にあくすれ
に成申事迷惑申候七村之百姓共相煩かつたい物くるいに
なり又はこしぬけ子共もそたち不申いろ〳〵ふしき共いて
き申間御別當さまも此度はせに御寺御たて候てはん
【左丁】
まいを進候唯分うち子共馳走可申候而百姓之ふんとして
か様ニ申上候事はあまりに迷惑さのまゝ申上候此等之趣
畏り思召之聞召分御観音様はせへ御かへり被成候様に
被仰付候者七村之うち子共両山忝可望候仍訟状
恐惶謹言
七村之うち子共
【朱筆】「慶長十一年」 惣中
八月廿三日
御奉行衆様
まいる