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第一章 第一節 地誌概要 二
三九三を有す。地質は豊川沿岸の低地にありては沖積層なるも、市街の大部分は洪積
層なり。
交 通 鉄路東海道線の開通以来、中間都市の機能漸く発達し、豊川鉄道の電化よ
り、鳳来寺鉄道、渥美電気鉄道、愛知電気鉄道及び市内電車の運転と、外に水運の利によ由
る交通の便は愈愈自在なるに至れり。更に市街道路の開鑿改修は比年着々竣工し、自
動車の往復頻繁となり、市区のめんもく面目を一新したるは、市勢発展の象徴として見る
べきものあり。
産 業 由来東三文化の中心たる本市は、交通機関の整備に伴ひ、益々産業経済
の中心となり、物資の集散頓に増加し商業取引も次第に繁栄に赴き、進んで全国的産
業地たる地歩を固むるに至れり。
蠶絲業は、本市重要産業の首位をし占め、産額二千万円以上に達す、特に玉絲の産額
は本邦第一にして、全国産額の約六割に相当せり。輓近東三玉絲製造同業組合並に
東三生絲製造同業組合の事業著しくしんぽ進歩し、加ふるに愛知県蠶業試験場豊橋詩支場設
置せられ、倍々斯業の改善を圖り製品の聲價を発揚せんとす。
麻真田業の年産額も全国第一にして本市の特産たり。豊橋毛筆は夙に其名四方に
知られ、清涼飲料水も亦販路を廣む。其他醸造業、水産加工業の発達、養鶏業の急速な
る進展等前途頗る多望んりと謂ふべし
戸 口 明治二十二年十月一日町制実施当時に於ける豊橋町は、戸数三千五百
九十七、人口一萬二千三百三十九人なりしが、明治三十九年八月一日市制施行せられ
てより戸数九千九百、人口三萬七千六百三十五人に激増し、今や戸数は一萬八千を超
え、人口は将に十萬に達せんとす。而して特に女子の数男子よりも非常に多きは、繊維
工業発達の結果一萬有余の女工を包含するに由る。試に掲ぐる累年の戸口調査
表を一覧せば、市勢膨張の如何に高速度なるかを知るに足らん。
豊橋市戸口調査表
年 次 本 籍 人 現 住 人 《割書:内 訳|男 女》 現 住 戸 数
明治三十九年 二三、二三五 三七、六三五 一八、三二五 一九、三一〇 九、九〇〇
同 四十年 二三、八四九 四〇、〇五五 一九、五一一 二〇、五四四 一〇四二三
同 四十一年 二四、四七四 四一、六四二 二〇、四六六 二一、一七六 一一、〇七三
同 四十二年 二五、六四三 四四、六八七 二一、九五三 二二、七三四 一一、七五九
同 四十三年 二六、六六四 四七、三四四 二三、二五六 二四、〇八八 一二、三七二
同 四十四年 二七、八六五 五〇、二二七 二四、六四七 二五、五八〇 一三、二三四
大正 元年 二八、九五七 五一、七一〇 二五、二〇二 二六、五〇八 一三、九二〇
第一章 第一節 地誌概要 三