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第一章 第一節 地誌概要 四
同 二年 二九、九六〇 五二、三六五 二五、六四七 二六、七一八 一三、九一〇
同 三年 三〇、九四八 五三、八四五 二六、三九三 二七、四五二 一四、一五〇
同 四年 三一、七六四 五七、五六〇 二七、一六五 三〇、三九五 一四、八八〇
同 五年 三二、四九〇 五八、九五〇 二八、四二二 三〇、五二八 一四、九五〇
同 六年 三三、二六一 六二、〇二〇 二九、五二五 三二、四九五 一四、八五〇
同 七年 三四、二四六 六四、五〇〇 三〇、八八五 三三、六一五 一三、一〇〇
同 八年 三五、〇一四 六六、八四四 三一、七二四 三五、一二〇 一三、五九二
同 九年 三四、九七六 六四、二一八 三〇、〇九八 三四、一二〇 一三、二五〇
同 十年 三五、九六九 六五、〇三三 三〇、九三〇 三四、一〇三 一三、四一三
同 十一年 三七、四三六 六七、〇六〇 三一、五一五 三五、五四五 一三、九四七
同 十二年 三八、一三五 六八、〇九九 三一、六七九 三六、四二〇 一四、〇七八
同 十三年 三九、六五二 六九、八三二 三二、八三五 三六、九九七 一四、四五五
同 十四年 四〇、八九八 七四、六五〇 三四、九五三 三九、六九七 一四、九三〇
昭和 元年 四一、七八七 七七、一三二 三四、三五二 四二、七八〇 一五、四四二
昭和 二年 四三、二一〇 八九、二〇〇 三八、二〇九 五〇、九九一 一六、四三二
昭和 三年 四四、五四六 九三、一八八 三九、九一四 五三、二七四 一七、二二七
昭和 四年 四六、一一八 九七、四六六 四二、〇六四 五五、四〇二 一八、一九六
尚参考として国勢調査を掲載す。
国勢調査による人口及世帯数
種 別 大正九年十月一日現在 大正十四年十月一日現在
増 △減
男 二八、三一三 三五、四〇二 七、〇八九
人口 女 三四、七八三 四五、三〇〇 一〇、五一七
計 六三、〇九六 八〇、七〇二 一七、六〇六
世帯数 一二、九〇八 一五、五四三 二、六三五
市区沿革 千有余年前に於ける当地方の地理を按ずるに
和名抄等の記録に残る
飽海、幡太の二郷は、即ち市の中部並に西端花田町に当たり、
東端岩崎町の地は多米郷に
屬せり。また神鳳抄に秦御厨薑御薗とあるも、花田町に羽田の地名存し、東田町に薑の
字名あるを以て知らる。然るに当時飽海より志香須賀の渡を越えて、渡津郷に着きけ
る紀行を想へば滄桑の變著しきものあり。
降って鎌倉期に至り次第に東西交通の衝に当りしが、室町期の末に及び、永正二年
今を距る四百二十余年前、牧野古白此地今橋に築城以来、軍事上交通上の要地な
り。此城は後に吉田城と改稱せられしも、諸将の間に争奪戦の絶ゆる時なく、未だ此地
の繁栄を見るに至らざりしが、今川氏の勢力範囲となりて施設よく商工業の発達を
促せせり。永禄八年徳川家康の手に帰するや、酒井忠次城主となりし市区の整理をなした
ること少なからず。文禄年中池田輝政更に拡張を計画し市区改正を実施せり。現
第一章 第一節 地誌概要 五