翻刻
【左頁】
種痘弁 【角印】 【角印 ■加文庫】
郡山藩 谷景命述 【丸印 昭和十八・三・一七・購入】
種痘(うへぼうそう)の原由(ゆらい)
夫(そ)れ種痘(うへぼうそう)の起源(ゆらい)を閲(みづ)ぬるに 我邦明和(わがくにめいわ)五年に当(あたつ)て獨乙(どいつ)といふ国(くに)に
於(おい)て或人嘗(あるひとかつ)て採種者(ちゝしぼり)者に牛(うし)の乳汁(ちゝしる)を搾(しぼ)りせしに其頃(そのころ)世上/一般(いつとう)に牛痘(うしのほうそう)
流行(りうこう)して其牛(そのうし)も亦/痘瘡(ほうそう)を患(うれ)ひおりけるが其採搾(そのちゝしぼり)者の未(いま)だ痘瘡(ほうそう)を
患(うれ)へざる者手(ものて)に損傷或(きずあるい)は跛烈(あうぎれ)等ありて偶牛痘(たま〳〵うしのほうそう)の膿漿其処(うみしるそのところ)に染汚(ついて)
て恰(あたか)も痘瘡(ほうそう)の如(ごと)きものを発(はつ)し尚(そのうへ)十二日の経過(はこび)を差(ちが)へざりけるが奇哉其(きめうかなその)
採搾(ちゝしぼり)者/生涯真痘(しやうがいほうそう)を患(うれ)へざるを以て衆人略之(おふくのひとそれそれ)を弁識(さと)れり是(こ)れ則(すあんわち)
其濫觴(そのはじまり)なり然(しか)して復(また) 我寛政九年(わがくわんせいくねん)に当て英吉利斯国(いぎりすこく)の応涅児(イエンネル)と