← 前のページ
ページ 250 / 491
次のページ →
翻刻
鎌倉(かまくら)を忍(しの)ひ出(いで)給ふよしを書(かけ)り。余(よ)倩(つら〳〵)考(かんが)ふるに。流石(さすが)に天下(てんか)
の執権(しつけん)。こと更(さら)其篤行(そのとくこう)の聞(きこ)えある。時頼(ときより)卒去(そつきよ)といはんには。
将軍家(しやうぐんけ)は元来(もとより)。朝廷(てうてい)へも奏(さう)し。両六波羅(れうろくはら)も喪(も)を発(はつ)して。
これ容易(ようい)の事(こと)ならざるべし。将又(はたまた)国家平治(こくかへいち)の為(ため)とはいへど。
朝廷(てうてい)を始(はじ)め奉(たてまつ)り。一天下(いつてんか)を偽(いつは)る事(こと)。最明寺(さいめうじ)などの誠忠(せいちう)
なるには。いかでかゝる謀計(たばかり)あらんや。頗(すこぶ)るうたがはし。故(かるがゆへ)にたゝ。重(ぢう)
病(びやう)を得(え)給ふとのみ記(しる)して。其卒去(そのそつきよ)をいはず。其(その)是非(ぜひ)看客(よむひとの)
の後評(こうひやう)を俟(ま)つ
参考北條時頼記図会巻五《割書:終》 前帙大尾