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にして。皇后宮権少進(くわうこうぐうごんのしやうしん)に補任(ふにん)せられ。平治元年(へいぢぐわんねん)十二月/右兵衛佐(ひやうゑのすけ)に転任(てんにん)
し。朝家(ちやうか)の寵遇(ちやうぐう)ことに深厚(しんこう)なりしが。同年十二月廿七日。右衛門督(ゑもんのかみ)藤原(ふぢはら)
信頼卿(のぶよりけう)謀叛(むほん)を発(おこ)し。頼朝(よりとも)が父(ちゝ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)を頼(たの)み。籏(はた)を上(あげ)られだりしが。
藤原信頼(ふぢはらのよぶより)軍慮(ぐんりよ)に拙(つたな)く。剰(あまつ)さへ義朝(よしとも)の軍謀(ぐんばう)を用(もち)ひざるがゆゑ。一日(いちにち)も堪(こた)
へがたく。平氏清盛(へいじきよもり)がために軍(いくさ)破(やぶ)れ。これに仍(よつ)て源家(げんけ)没落(ぼつらく)し。義朝(よしとも)も東国(とうごく)
方(かた)に趣(おもむ)く折(をり)から。家(いへ)の子(こ)長田荘司忠致(おさだのさうじたゞむね)が宅(いへ)に宿(しゆく)せしを。忠致(たゞむね)反心(はんしん)して
謀(はかつ)て義朝(よしとも)を弑(しい)す。頼朝(よりとも)此とき十四/歳(さい)。平家(へいけ)の士(さふらひ)弥平兵衛(やへいびやうゑ)宗清(むねきよ)に生捕(いけと)
らる。清盛(きよもり)已(すて)に誅(ちう)を加(くは)へんとするを。池(いけ)の禅尼(ぜんに)が申/宥(なだ)めにより。伊豆国(いづのくに)蛭(ひる)が
小島(こじま)に流罪(るざい)となりて。伊藤入道祐親(いとうにうだうすけちか)がもとに。預(あづ)ケ(け)人(びと)となり。有(あり)しに変(かは)れる
さまなるに。加之(しかのみならず)。清盛入道(きよもりにうだふ)の内命(ないめい)を承(うけ)て。密(ひそか)に頼朝(よりとも)を害(がい)して。源家(げんけ)の枝(し)
葉(えう)を断(たゝ)んとす。頼朝(よりとも)元原(もとより)怜悧(れいり)なれば。祐親(すけちか)が動静(やうす)に細心(こゝろをつけ)。粗(ほゝ)其機(そのき)を
察(さつ)し。或夜(あるよ)深更(しんかう)に。伊藤(いとう)が館(やかた)を忍(しの)び出て。直(たゞち)に北条(ほうでう)に走(はしり)て時政(ときまさ)を頼(たのみ)給ふ