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人口(じんこう)喧(かまびす)しく罵(のゝし)るに。原来(もとより)才智(さいち)の嫡男(ちやくなん)義時(よしとき)。夙(とく)も其儀(そのぎ)を察察(さつ)すると雖(いへど)も
継母(けいぼ)の罪(つみ)を員(かぞ)へん事(こと)を憚(はゞか)り。内々(ない〳〵)時房(ときふさ)と心(こゝろ)を合(あは)せ。君(きみ)を守護(しゆご)し申により
父(ちゝ)時政(ときまさ)も。容易(やうい)に事(こと)を発(はつ)せざる処(ところ)に。尼御台(あまみだい)。これを聞(きゝ)て驚(おどろ)き給ひ。即日(そくじつ)
三浦義村(みうらよしむら)。結城(ゆふき)七郎/朝光(ともみつ)。長沼(ながぬま)五郎/宗政(むねまさ)。天野(あまの)六郎/政景(まさかげ)を召(めさ)れ。思召(おぼしめ)す
ことあるにより。昼夜(ちうや)非常警固(ひじやうけいご)のためと。寝殿(しんでん)に宿直(とのゐ)せしめ給ひ。又/左馬権頭(さまのごんのかみ)
朝雅(ともまさ)。その頃/帝都守護職(ていとしゆごしよく)として在洛(ざいらく)せしを。則(すなはち)在京(ざいけう)の武士(ものゝふ)五条判官有範(こでうはんくわんありのり)。
後藤(ごとう)左衛門/尉(ぜう)基清(もときよ)に。台命(たいめい)をつたへて。朝雅(ともまさ)を誅(ちう)せしむ。こゝに於(おい)て時政(ときまさ)も。
何(なに)となく後(うしろ)めたく。同年十二月。心(こゝろ)にあらで落飾(らくしよく)なし。執権職(しゆけんしよく)を嫡子(ちやくし)右京大夫(うけうのたゆふ)
義時(よしとき)に譲(ゆづ)り。其身(そのみ)は隠逸(いんいつ)の身(み)となりしかば。牧(まき)の方(かた)は朝雅(ともまさ)誅伐(ちうはつ)せられて後(のち)
は。怒気(どき)愈益(いやませ)と詮(せん)便(すへ)なく。望(のぞ)みの迚(とて)も叶(かなは)ざるを知(し)りて。本国(ほんこく)伊豆(いづ)の国(くに)へ引退(ひきしりぞ)く。
扨(さて)も実朝卿(さねともけう)は。其後(そのゝち)追々(おひ〳〵)昇進(しやうじん)し給ひ。建保(けんほう)六年/内大臣(ないだいじん)を経(へ)て。同十二月に
右大臣(うだいじん)と成(なり)給ふ。御拝賀(おんはいが)のためにとて。翌(よく)七年正月廿七日。善美(せんび)をことに尽(つく)し