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之城を攻落春べしと被 仰出依之正月十二
日之未明に江戸を打立ゐふ
鍋島家書上曰正月十二日於江戸信濃守義被下
御暇即日出立
島原征伐始末別記曰鍋島信濃守勝茂十一月於
肥前国有馬切支丹蜂起原古城楯籠候に付御
征伐被 仰付候節在府に付ゐ名代末家之者
幷家来出陣場相勤候処落城隙取候に付同十
五年正月十二日猶又蒙 仰罷越候
島津譜曰寛永十五年正月十三日阿部豊後守
釣命を述て曰く肥前有馬之蜂起之者をうつ
扁しと光久《割書:家久|之子》仰を承りて其日に江戸を
出て有馬之津に趣き上使松平伊豆守に逢て
仰之旨をつぐ時に伊豆守曰く家久病重き之
由を聞早く国に帰て看病致春べしと是によ
り光久鹿児島に帰て家久か病之重きを見て
な希く事甚し
有馬譜曰左衛門佐直純寛永十五年正月十二日
厳命を蒙り江戸ゟ直に島原に赴く蔵人康純
は日向より兵士を引ゐて島原に到る