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て御存寄御聞有しに百姓之事一揆とは被申
間敷候耶蘇宗門徒党之者御仕置に被仰付抔
と可有之事やと仰に付其赴御認送ら連ける
薩摩之御請には耶蘇宗門御仕置に被仰付候
依之首切千人士少々相添差出可申由御返答
有けるとぞ
永日記曰島原之時に細川越中守に真田伊豆守
語る今度板倉内膳討死早速踏つぶさるに付
各を被遣手間を取可申候思様に成間敷候左
様に可被心得伊豆守武州忍之城成由を攻多
る時人数勇ま春下知を聞兼たり伊豆守帰陣
して夜にあの様成る腰抜斗を与りて御付候
今度不勇由申た連は安芸守若輩者之何を不
知事をいふ去年後連を取たる故也一度後連
ては三年は失怒者と申候由今度島原も内膳
は討死する人数は損春を?き里てある間人
数勇まし手間をとり可申候間其分別をして
御戯候得与申候真田忍之城攻前に何連之時
か人数をくれたるを有由
島原征伐始末別記曰正月十二日 旧冬ゟ悪党