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方を欺き 幕府を讒し候折柄同八月木屋町
の旅亭ニ而病死いたし候其者之所持致居之品々之中ニ
自筆の手帳有之筆記致し候者多く江戸表出立
之砌逆徒と申合之約条之留記ニして其中にも
神奈川条約之事実者掃部頭殿不承知之処堀田
備中守殿松平伊賀守殿両人岩瀬肥後守井上信濃守を
遣し調印為致候へ共京都江者掃部頭殿久世大和守殿之
心ニ而調印いたし候と可申上事と申ケ条も有之其外
暴悪之所業を巧候ケ条斗多く相見候此手帳を御覧
候而より三条前内府殿始彼者ニ欺かれ候事を竊ニ
被成御後悔其後者奸謀之御評席ニ而も左右之
大臣方を御諫被成候事度々有之鵜飼父子か書
状中にも三条前内府殿ニ者近頃正理而已被申立
非常之方ニ者入込不被申右府公も内間ゟ被倒候事も
可有之と御心配被為在候由有之候其手帳幷鵜飼父子
が書状者今も其儘御役方之手ニ有之候扠三条前
内府殿ニ者是非を悔粗御改心之思召ニ者被為在候得共
同年八月八日正直にも無之 勅諚を出され剰
其 勅諚を幸吉如き軽きものニ御渡し竊に
水戸家江御届候連判ニ加り候事
天朝之御大則を破り御法を犯し候罪状難遁迚終ニ
入道被成鷹司殿父子近衛殿被成入道ニ而此一条
ニ付而也惣而奸賊共正路之論をば非常之妨と者
是を悪ミ己か悪謀之徒をバ忠直節義なとヽ
口には唱候へ共自ら欺候偽言者飽迄承知之上之
事ニ可有之候得者其異心推て知るべき事ニ候
抑外夷浦賀江入津以来午年三月迄阿部伊勢
守殿掘田備中守殿執政七八ケ年之間執政方之御所
置者存不申候へ共其節外国方之掛御役人方ニ者岩瀬
肥後守永井玄番頭等専ら外夷と実ニ親睦被致候
方ニ有之事者世間にも能知る処ニ候然るに逆徒
此人々之外夷親睦の事をば仮にも不唱却而
己が内間之謀反をしたるニあらすや然者今御役