翻刻
【右丁】
遺廟柏圍六浦橋 朗吟繫馬石支腰
歸鴉飛破翠屏面 剰被風聲添晩潮
鎌倉記行 迫門(せと)の明神(みやうしん)へまうてけるに是(これ)は三島(みしま)の大明神(たいみやうしん)
本地(ほんち)は大通智勝佛(たいつうちしやうふつ)伊豆(いつ)と御一躰( たい)なりと
神職(しんしよく)こたへられける
まうてつる昔を今に思ひいつの三島もおなし神垣の内 澤菴
當社(たうしや)境内(けいたい)は千歳(せんさい)の古木(こほく)雲(くも)を凌(しの)き囬岩(くわいかん)社頭(しやとう)をつゝみ
たる山(やま)の勢(いきほ)ひ実(しつ)に巨靈神(これいしん)の手(て)を延(のへ)ていつくよりか
此山(このやま)を遷(うつ)しけんとあやしむ斗(はかり)也 社前(しやせん)の老樹(らうしゆ)浦風(うらかせ)に靡(なひ)き
打寄(うちよす)る浪(なみ)は下枝(しつえ)を洗(あら)ふ一根清浄( こんしやう〳〵)なる時(とき)は六根( こん)共(とも)に
清(きよ)く我(われ)人(ひと)の頭(かしら)に神(かみ)もやとらさらめやといと尊(たうと)くそ思(おも)はれ
ける
瀬戸辨財天(せとへんさいてん) 同 社前道(しやせんのみち)を隔(へた)てゝ南(みなみ)の入海(いりうみ)へ築出(つきいた)したる
小島(こしま)にあり昔(むかし)頼朝卿(よりともきやう)の御䑓所(みたいところ)《振り仮名:平の政子御前|たひら まさこ こせん 》江州(こうしう)
竹生島(ちくふしま)の御神(おんかみ)を勧請(くわんしやう)せられけるとあり《割書:島(しま)の中(なか)混柏(ひやくしん)を多(おほ)く|植(うゑ)たり今(いま)は枯(かれ)て》
【左丁 絵図】
瀬戸(せと)
辨財天(へんさいてん)
円通寺
東照大権現
弁天
現代語訳
【右丁】
古い廟の柏が六浦橋を囲み 朗々と吟じて馬を繋ぎ石に腰を支える
帰る鴉が翠の屏風の面を破って飛び さらに風の音が夕潮の音を添える
鎌倉記行 瀬戸の明神へ参詣したところ、これは三島の大明神で、
本地仏は大通智勝仏、伊豆と御一体であると
神職が答えられた
参詣した昔を今に思い出す 伊豆の三島も同じ神垣の内 澤庵
当社の境内は千年の古木が雲を凌ぎ、奇岩が社頭を包んでいる
山の勢いは、まことに巨霊神が手を延ばして、いったいどこから
この山を移したのかと怪しむばかりである。社前の老樹は浦風になびき、
打ち寄せる波は下枝を洗っている。一根清浄である時は六根ともに
清く、我々人の頭に神も宿られるであろうかと、とても尊く思われる
のである。
瀬戸弁財天 同じく社前の道を隔てて南の入り海へ築き出した
小島にある。昔、頼朝卿の御台所《振り仮名:平の政子御前》が江州
竹生島の御神を勧請されたとある《割書:島の中に檜を多く
植えた。今は枯れている}}
【左丁 絵図】
瀬戸
弁財天
円通寺
東照大権現
弁天