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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之6 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之6 - ページ 49

ページ: 49

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【右丁】     遺廟柏圍六浦橋  朗吟繫馬石支腰     歸鴉飛破翠屏面  剰被風聲添晩潮  鎌倉記行 迫門(せと)の明神(みやうしん)へまうてけるに是(これ)は三島(みしま)の大明神(たいみやうしん)       本地(ほんち)は大通智勝佛(たいつうちしやうふつ)伊豆(いつ)と御一躰(    たい)なりと       神職(しんしよく)こたへられける     まうてつる昔を今に思ひいつの三島もおなし神垣の内  澤菴  當社(たうしや)境内(けいたい)は千歳(せんさい)の古木(こほく)雲(くも)を凌(しの)き囬岩(くわいかん)社頭(しやとう)をつゝみ  たる山(やま)の勢(いきほ)ひ実(しつ)に巨靈神(これいしん)の手(て)を延(のへ)ていつくよりか  此山(このやま)を遷(うつ)しけんとあやしむ斗(はかり)也 社前(しやせん)の老樹(らうしゆ)浦風(うらかせ)に靡(なひ)き  打寄(うちよす)る浪(なみ)は下枝(しつえ)を洗(あら)ふ一根清浄(  こんしやう〳〵)なる時(とき)は六根(  こん)共(とも)に  清(きよ)く我(われ)人(ひと)の頭(かしら)に神(かみ)もやとらさらめやといと尊(たうと)くそ思(おも)はれ  ける 瀬戸辨財天(せとへんさいてん) 同 社前道(しやせんのみち)を隔(へた)てゝ南(みなみ)の入海(いりうみ)へ築出(つきいた)したる  小島(こしま)にあり昔(むかし)頼朝卿(よりともきやう)の御䑓所(みたいところ)《振り仮名:平の政子御前|たひら まさこ こせん 》江州(こうしう)  竹生島(ちくふしま)の御神(おんかみ)を勧請(くわんしやう)せられけるとあり《割書:島(しま)の中(なか)混柏(ひやくしん)を多(おほ)く|植(うゑ)たり今(いま)は枯(かれ)て》 【左丁 絵図】 瀬戸(せと)  辨財天(へんさいてん)        円通寺     東照大権現             弁天

現代語訳

【右丁】     古い廟の柏が六浦橋を囲み  朗々と吟じて馬を繋ぎ石に腰を支える     帰る鴉が翠の屏風の面を破って飛び  さらに風の音が夕潮の音を添える 鎌倉記行 瀬戸の明神へ参詣したところ、これは三島の大明神で、      本地仏は大通智勝仏、伊豆と御一体であると      神職が答えられた     参詣した昔を今に思い出す 伊豆の三島も同じ神垣の内  澤庵 当社の境内は千年の古木が雲を凌ぎ、奇岩が社頭を包んでいる 山の勢いは、まことに巨霊神が手を延ばして、いったいどこから この山を移したのかと怪しむばかりである。社前の老樹は浦風になびき、 打ち寄せる波は下枝を洗っている。一根清浄である時は六根ともに 清く、我々人の頭に神も宿られるであろうかと、とても尊く思われる のである。 瀬戸弁財天 同じく社前の道を隔てて南の入り海へ築き出した 小島にある。昔、頼朝卿の御台所《振り仮名:平の政子御前》が江州 竹生島の御神を勧請されたとある《割書:島の中に檜を多く 植えた。今は枯れている}} 【左丁 絵図】 瀬戸  弁財天        円通寺     東照大権現             弁天