翻刻
【右丁】
終(をは)れりと云傳(いひつた)ふるのみにて時世(しせい)事實(ししつ)ともに精(くは)しからす
猶(なほ)考(かんかふ)へし《割書:按(あんする)に海老名(ゑひな)源三(けんさ)季貞(すへさた)|か後裔(こうえい)なるへし》
荒井(あらゐ)玅法(めうほふ)日荷(につか)上人(しやうにん)加持水(かちすゐ) 同所 農家(のうか)金子氏(かねこうち)の地(ち)に存(そん)する
井(ゐ)を云(いふ)その味(あちはひ)甘美(かんひ)にして尤(もつとも)霊泉(れいせん)たり此所(このところ)の小地名(しやうちみやう)を
荒井(あらゐ)と称(しやう)するは往古(いにしへ)日荷(につか)上人 荒井(あらゐ)平四郎(へいしらう)光吉(みつよし)と号(かう)
して此地(このち)に居住(きよちゆう)せしによりてかく呼来(よひきた)るとなり《割書:猶(なほ)上人(しやうにん)の|事跡(しせき)は》
《割書:次(つき)の上行寺(しやうきやうし)の|条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》
能仁寺(のうにんし)𦾔(きう)跡(せき)《割書:今(いま)の米倉侯(よねくらこう)の陣屋(ちんや)の地(ち)なりといふ此寺(このてら)は昔(むかし)|上杉(うえすき)憲方(のりかた)名月院(めいけつゐん)道合(たうかう)の建立(こんりふ)なりしといへり》
鎌倉志古記曰 上杉房州太守築武州金澤能仁寺
創七宇伽藍請方崖和尚為開山第一世號山曰福
壽號寺曰能仁太守有宗陸能仁寺位列諸山者也
永德三年小春日東暉曇昕謹記又本尊建立永德
二年三月七日始之同年四月廿一日終住持東暉
曇昕奉行德慧德澤檀那巨喜上緫洲法眼朝榮作
之大檀那房州道合德珠書之
【左丁】
能仁寺(のうにんし)佛殿(ふつてん)梁牌銘(りやうはいのめい)《割書:鎌倉(かまくら)建長寺(けんちやうし)の龍峯庵(りうほうあん)|にあり其(その)文(ふん)左(さ)のことし》
恭願皇圖鞏固而四海昇平黎庶安寧而五穀豊稔
檀那前房州太守菩薩戒第子道合敬白庄伏冀佛
運帝運歴永劫而綿延寺門檀門経萬年以昌盛豈
永德二年壬戌四月日開山方崖元圭謹題右
六浦山(ろくほさん)上行寺(しやうきやうし) 泥牛庵(ていきうあん)より六七町 西南(せいなん)の方(かた)道(みち)より右側(みきかは)に
あり當寺(たうし)往古(そのかみ)は真言(しんこん)の古刹(こせつ)にして六浦山(ろくほさん)金全寺(きんせんし)と号(かうす)
然(しか)るに應安(おうあん)年中(ねんちゆう)の住持(ちゆうし)某(それかし)日蓮(にちれん)の法(はふ)を尊(たつと)み日蓮宗(にちれんしう)となり
北緫(ほくさう)中山(なかやま)の日祐(にちゆう)上人 開祖(かいそ)とし自(みつか)ら妙法(めうほう)日荷(につか)上人と号(かう)す
《割書:日祐(にちゆう)上人は千葉(ちは)宗胤(むねたね)の孫(まこ)貞胤(さたたね)の子(こ)にして|北緫(ほくさう)中山(なかやま)の妙法華経寺(めうほふけきやうし)の弟(たい)三 祖(そ)なり》
祖師堂(そしたう) 宗祖(しうそ)日蓮(にちれん)大士の像(さう)を安(あん)す《割書:座像(ささう)二尺三寸 余(よ)あり|法華経(ほけきやう)讀誦(とくしゆ)のさまなり》
《割書:日法(にちほふ)上人三十三 歳(さい)の年(とし)日上(にちしやう)上人の指図(さしつ)によりて彫造(てうさう)するといへり|》
祖師(そし)木像(もくさう)胎中(たいちゆう)収蔵(しゆさう)法華經(ほけきやう)書寫人(しよしやしん)名簿(めいふ)《割書:紙(かみ)は薄用(うすよう)の如(こと)くなる|質(しつ)にしてそのたけ》
《割書:三寸三分はかりの巻紙(まきかみ)へ細字(さいし)に書(かき)たるものにて表紙(へうし)もなく巻(まき)たるまゝを紙(かみ)にて|包(つゝみ)紫銅(しとう)の経筒(きやうつゝ)に入(いれ)て胎中(たいちゆう)に収(をさ)む経筒(きやうつゝ)は明和(めいわ)年間(ねんかん)の製(せい)のものなり法華経(ほけきやう)》