翻刻
【右丁】
《割書:なりしを生捕(いけとり)て六面(むつら)の沖(おき)に沈(しつめ)にそかけられけるとありて少(すこ)しく異(こと)なり|》
永禄(えいろく)の頃(ころ)は小田原(をたはら)北条(ほうてう)此地(このち)を領(りやう)し六浦(むつら)木曽分(きそふん)の地(ち)は
武田家(たけたけ)へ付(ふ)し同所(とうしよ)大道分(おおみちふん)の地(ち)は龍源軒(りうけんけん)といへるに付(ふ)し
たる由(よし)分限帳(ふんけんちやう)に見(み)えたり
澤庵和尚鎌倉記行
あくれは三日 鎌倉(かまくら)へ赴(おもむ)くに一 坂(さか)を過(すく)れは
里(さと)ありこゝなむむつらの浦(うら)かととへは夫(それ)と
こたふ海士(あま)の子(こ)とものあそふを見(み)て
よついつゝ六面の浦の海人の子の遊ふは潮の遠干潟かな 澤庵
海士(あま)のすみかのあはれを見て
浪あらきむつらの浦の海士の小屋かこふとするもまはりなりけり 仝
六浦川(むつらかは) 此地(このち)の道(みち)を横(よこ)きりて流(なか)るゝ小 溝(みそ)を云 又(また)此(この)溝(みそ)に架(か)す
小橋(こはし)をも六浦橋(むつらはし)と号(なつ)くといふ
《割書:專光寺(せんくわうし)の辺(へん)より光傳寺(くわうてんし)の辺(へん)迠(まて)の地(ち)の字(あさな)を川村(かはむら)と称(とな)ふ按(あんす)るに昔(むかし)の水流(すゐりう)の|旧跡(きうせき)なる故(ゆゑ)にかくは呼(よ)ふならん欤(か)》
【左丁】
日光山(につくわうさん)專光寺(せんくわうし) 嶺松寺(れいしやうし)より二町 計(はかり)を隔(へた)てゝ南(みなみ)の方(かた)道(みち)より
右側(みきかは)にあり淨土宗(しやうとしう)にして同所(とうしよ)天然寺(てんねんし)に属(そく)す本尊(ほんそん)十一
面(めん)観音(くわんおん)は立像(りふさう)一尺 計(はかり)あり佛工(ふつこう)春日(かすか)の作(さく)なりと云(いふ)相傳(あひつた)ふ
照天姫(てるてのひめ)の念持佛(ねんちふつ)にして姫(ひめ)松葉(まつは)にて燻(くすへ)られし時(とき)身代(みかは)
りに立(たち)たまふと云傳(いひつた)へり寺(てら)の後(うしろ)の方(かた)に日光(につくわう)権現(こんけん)の宮(みや)あり
故(ゆゑ)に山号(さんかう)とす
油堤(あふらつゝみ) 同(おな)し寺(てら)の後(うしろ)の田圃(てんほ)を隔(へた)てゝ半町(はんちやう)はかり西(にし)の方(かた)に續(つゝ)き
たる山(やま)を油堤(あふらつゝみ)と云(いふ)由(よし)土人(としん)云(いへ)り《割書:鎌倉志(かまくらし)には專光寺(せんくわうし)の|前(まへ)にありと記(しる)せり》里諺(りけん)に
いふ照天姫(てるてのひめ)の乳母(にうほ)侍従(ししやう)といへるもの姫(ひめ)の粧具(しやうく)を携(たつさ)へ此所(このところ)迠(まて)
尋来(たつねきた)りしかとも姫(ひめ)の行方(ゆくへ)しれさるを歎(なけ)き悲(かな)しみ彼(かの)粧(しやう)
具(く)を捨(すて)て終(つひ)に此所(このところ)の川(かは)へ身(み)を沈(しつ)めたりし故(ゆゑ)に号(な)とす
となり
侍従川(ししゆうかは) 川村(かはむら)と大間村(おほまむら)との中間(ちゆうかん)光傳寺(くわうてんし)の前(まへ)を流(なか)るゝ川(かは)の