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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之6 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之6 - ページ 60

ページ: 60

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【右丁】   西(にし)の方(かた)鎌倉道(かまくらみち)の傍(かたはら)にあり巨巌(かん)の壁立(へきりふ)したる所(ところ)に  此(この)尊像(そんさう)を鐫(えり)出(いた)せり《割書:尊像(そんさう)の鼻(はな)欠損(かけそん)す|故(ゆゑ)に鼻欠地蔵(はなかけちさう)と云》此所(このところ)は武蔵相模(むさしさかみ)の  国境(くにさかひ)にして峠村(とふけむら)と号(なつ)く 三艘浦(さんそううら) 六浦(むつら)の南向 三艘村(さんそうむら)にあり永禄(えいろく)九年の春(はる)唐舩(たうせん)  三艘(さんそう)此浦(このうら)に着岸(ちやくかん)せり故(ゆゑ)に名付(なつ)くとそ鎌倉志(かまくらし)云(いはく)其時(そのとき)  舟(ふね)に載来(のせきた)りし一切経(いつさいきやう)及(およ)ひ青磁(せいし)の香爐(かうろ)花瓶(くわひん)等(とう)は皆(みな)  称名寺(しようみやうし)に傳(つた)へてありと云(いふ) 海藏山(かいさうさん)太寧寺(たいねいし) 三艘(さんそう)か浦(うら)の東(ひかし)瀬崎村(せさきむら)にあり《割書:界(さかひ)地蔵(ちさう)より|二丁 斗(はかり)あり》往古(いにしへ)は  布金(ふきん)の道塲(たうちやう)にして藥師寺(やくしし)と号(かう)し真言宗(しんこんしう)なりしか蒲(かは)  御曹司(おんさうし)源(みなもとの)範頼公(のりよりこう)生害(しやうかい)ありし後(のち)其(その)法号(ほふかう)を採(とり)て太寧寺(たいねいし)  と号(かう)す千光(せんくわう)國師(こくし)開山(かいさん)となりて禪林(せんりん)に轉(てん)し鎌倉(かまくら)建長(けんちやう)   寺(し)の属寺(そくし)とす《割書:藥師寺(やくしし)の号(かう)の廃(はい)せん事を歎(なけ)き其頃(そのころ)寺前(てらまへ)村(むら)の地(ち)へ|薬王寺(やくわうし)を開創(かいさう)す前(まへ)の薬王寺(やくわうし)の下(しも)に詳(つまひらか)なり》  本尊(ほんそん)藥師(やくし)如来(によらい)立像(りふさう)丈五尺あり十二 神將(しんしやう)の像(さう)は三尺 斗(はかり) 【左丁】  ありて共(とも)に運慶(うんけい)の作(さく)也 鎌倉志(かまくらし)に當寺(たうし)勧進帳(くわんしんちやう)を引(ひき)て  云(いはく)往古(そのかみ) 伏見帝(ふしみてい)永仁(えいにん)年間(ねんかん)此村(このむら)に貧女(ひんちよ)あり父母(ふほ)の忌(き)  日(にち)に當(あた)るといへとも佛(ほとけ)に供養(くやう)し奉(たてまつ)るへき便(たより)なし絲(いと)を繰(くり)  巻子(へそ)としてこれを賣(うつ)て佛餉(ふつしやう)に備(そな)へんと思(おも)ふ然(しか)れとも  容易(ようい)に買人(かふひと)なし或時(あるとき)童子(とうし)一人(いちにん)来(きたり)て是(これ)を買(か)ふ其(その)價(あたへ)を  以(もつ)て父母(ふほ)の忌日(きにち)の供養(くやう)の料(れう)に充(あつ)しかして佛前(ふつせん)に至(いた)るに  件(くたん)のへそ多(おほ)くあり依(よつ)て知(しり)ぬ如来(によらい)貧女(ひんちよ)か純孝(しゆんかう)の志(こゝろさし)を  感(かん)して自尓(しかりしより)以来(このかた)へそ藥師(やくし)と云(いふ)とあり《割書:此故(このゆゑ)は今(いま)も此(この)薬師(やくし)|佛(ふつ)宿願(しゆくかん)の事(こと)ある》  《割書:時(とき)其(その)祈願(きくわん)成就(しやうしゆ)に至(いた)れは報賽(はうさいとして)|麻荢(あさを)を臍巻(へそまき)にして奉(たてまつ)るといへり》  蒲(かはの)冠者(くわんしや)範頼(のりより)霊牌(れいはい)《割書:堂中(たうちゆう)に置(おけ)り其(その)牌面(はいめん)に大寧寺(たいねいし)殿道(てんたう)悟(こ)大禪(たいせん)|定門(ちやうもん)神儀(しんき)裏(うら)に範頼公(のりよりこう)建久(けんきう)四癸丑年八月と》  《割書:彫付(ほりつけ)|たり》  範頼墓(のりよりのはか) 《割書:本堂(ほんたう)の後(うしろ)の山(やまの)麓(ふもと)にあり髙(たか)さ二尺六七すんはかりの|五輪(こりん)の石塔(せきたふ)なり臺石(たいいし)は土中(とちゆう)に埋(うつ)む》   《割書:按(あんする)に異本(いほん)源平(げんへい)盛衰記(せいすゐき)に範頼(のりより)伊豆(いつ)の修善寺(しゆせんし)に御座(まし〳〵)けるを景時(かけとき)|又(また)頼朝(よりとも)に申(まう)して伊豆(いつ)に越(こし)景時(かけとき)父子(ふし)三人五百 餘(よ)騎(き)にて修善寺(しゆせんし)に押寄(おしよせ)す》