翻刻
或日(あるひ)五平次此 侍(さむらひ)居(ゐ)ける長屋(ながや)へ来(き)て密談(みつだん)数刻(すこく)に
及(およぶ)然(しか)るに領主(りやうしゆ)在国(ざいこく)の間(あいだ)百姓(ひやくしやう)共 役(やく)にかゝれて【掛かれて】家中(かちう)
の諸士(しよし)へ渡(わた)り下働(したはたらき)をなす是(これ)を役夫(やくふ)と号(ごう)す天に足(あし)
なし人をかつ?て罰(ばつ)すとは誠(まこと)なる哉 彼(かの)伝蔵此 侍(さむらひ)の
役夫(やくぶ)に当(あた)れるものにやとはれ仮(かり)の中間(ちうげん)となり召(めし)
つかはれけるに五平次 毎日(まいにち)来(きた)りさゝやく有様(ありさま)いぶかしく
思ひ今日(けふ)は奥(おく)へ閉(とぢ)こもり曽(かつ)て人を入さりしは如何(いか)
なる密事(みつじ)かあるらんとあやしみ心利(こゝろきゝ)たるものなれは
外(ほか)へ用事(ようじ)に出(いづ)る体(てい)にもてなし座敷(ざしき)へ出入(でいり)の口(くち)に
襖戸(ふすまと)の押入(おしいれ)有(あり)けるへ這入(はいいり)ひそかに様子(やうす)伺(うかゞ)ひけるに
両人(りやうにん)出てあたりを見るに人 影(かけ)もなけれははゞかる事も
なく今宵(こよひ)浪人か方へ夜更(よふけ)人しづまりて忍(しの)び入 油(ゆ)
断(だん)をはかりて討留(うちとめ)ん跡(あと)は親(おや)の敵討(かたきうち)と披露(ひろう)せんに何
の障(さはり)りかあらん一先(ひとまつ)用意(ようい)せんとてしばらく有て立出
いふやうかくて夜を更(ふか)さんも待遠(まちどふ)ならんにいさや町へ
出て門出(かとて)の酒盛(さかもり)して一 興(けう)せんとて打つれ出ぬ伝蔵 隠(かく)
れし所より出つく〴〵思案(しあん)しいそき此事浪人に告(つげ)知(し)ら
せんと思へと留主を守(まも)る人なしかゝる大事 手紙(てかみ)にては
若(もし)やあやまりて露顕(ろけん)せんもいぶかしくとやせんかくや
と思ひ廻(まは)し居(い)る所へ役夫(やくふ)の当人(とうにん)見舞(みまひ)なから勤(つとめ)方