翻刻
のことなども心許(こゝろもと)なしとて来(きた)りしを神仏(かみほとけ)の加護(かこ)と
嬉(うれ)しくよくそ来り給ひし不叶(かなはざる)用事(ようじ)ありて宿所(やともと)へ
参(まいり)たししばしの間(あいだ)留主(るす)預(あづかり)給へよと頼(たの)み置(おき)て逸(いち)
足(あし)出して走(はし)り行(ゆき)浪人へ対面(たいめん)し彼(かの)者共(ものども)が工(たく)みし悪事(あくじ)
の品々(しな〳〵)をくわしく物語(ものがたり)し今宵(こよひ)の難(なん)をまぬかれ玉
ふ様(やう)に御 思案(しあん)をめぐらし給へかれら蜜談(みつだん)の謀計(ぼうけひ)
露顕(ろけん)せしとしりなは不意(ふゐ)にいかなる悪事をな
さんもはかりかたし心つかざる内(うち)にいそぎ罷帰(まかりかへ)るべし
と其侭(そのまゝ)取(とつ)てかへし内に入見るにいまだ侍(さむらひ)はかへらず
心うれしく留主せし百姓(ひやくしやう)をは帰(かへ)してそしらぬ
顔(かほ)して居(い)けるに初夜(しよや)の頃(ころ)侍(さむらひ)帰(かへ)りて今宵(こよひ)は夜遊(よあそび)に
出るなり留守(るす)よくせよとて出行(いでゆき)けり伝蔵は今宵
の事を案(あん)じて此 夜(よ)は寐(ね)もやらず居(い)たり浪人は伝
蔵がしらせによりて思案(しあん)をめぐらし目付(めつけ)役(やく)の人の
方へ推参(すいさん)し拙者(せつしや)義は御 領分(りやうぶん)の内に罷在(まかりあり)候浪人にて
御座候が火急に得御意(ぎよいゑ)度(たき)儀(き)御座候て罷越候也
御 在宿(ざいしゆく)に候はゝ御 逢(あい)被下候へかしと申入けれは早速(さつそく)
対面(たいめん)せられぬ浪人あたりの人を遠(とふ)のけさせ申
けるは拙者(せつしや)儀御 領分(りやうぶん)の内にしるべの者(もの)ありて先
年 遠国(ゑんごく)より罷越(まかりこし)只今(たゝいま)平郡郡(へぐりごふり)の内に住居(じうきよ)仕
【平郡郡=平群郡。奈良の平群ではなく、安房国(千葉県)にあった平郡(へいぐん)の旧称。】