翻刻
【右丁】
当り手足にさわり其上銘々江目を付大に/笑(ワライ)候故付添之役人へ申候処
大にいかり人々をはらい呉申候扨其日も早ハツ頃共相成候得共食物いまた
あたへず是によつて付添役人へ腹をおしへ候得は此役人銀を出せと
申故銘々大にいかり能く考見るへし我々一銭もいかて持居可申と
申汝等は我々に付添居る事何の為成ぞときび敷申呼候処此役人
得心致し支度致せ呉程なく七つ頃又川舟に乗り広東へ急き申候
【頭注に○印】
三日朝広東へ着致候夫ゟ広東役所へ侍壱人参り届け申候昼
九つ頃十四人を寺の様成処へ連行双方立会に而十四人者書付を以て引渡し
相済奥門の役人は是ゟ被帰候に付一礼申わかれ申候広東役人書付を以て始末
国元出船ゟ破船場又是迄送り来国々取計委細被尋候に付去る文政
十三寅八月十二日国元出船紀州汐の御崎と申処ゟ北悪風吹南へ流され
日数六十八日振り唐土ハタンと申処に而破船同所に而五人相果残り十四人
【左丁】
国々御役□に預り是迄送り被下候此上早々国元へ為送り被下候様奉願候と書出し
候得者役人衆も承知に而此上は上役へ達し候間しはらく此処にきうそく致し
様被仰付役人申は被帰程なく五十計の男来書付を以て我は今日ゟ日本人の
賄役也望之品あらば申出せと書付を以て知らせ申候其時銘々格別望なし
米肴煙艸紙抔毎日被下候様申出候且ぶた鳥抔喰すかと恐申候銘々申候は日本者
神国故神を拝す故ぶた抔は喰不仕と申ければ賄人尤と申て夫ゟ次第と念頃に致し
呉申此広東と申処は至而宜敷国に而大坂と申様成繁昌之所に而大寺有之五百羅
かん并釈迦尊あり本尊千手観音うしろ立は地蔵尊何れも木像也日本に違ひ
に事なし又大寺之正面に者王様のよふなる木像左右に剱長刀持ち木像有
前に大をなる花生香炉何れも銀也七月三日に成候と出家段々集木像前に而
供養致し灯籠沢山に燈し何れもギヤマン也十三日より十五日迄昼夜大勢此処に而回向
仕候其間には段々芸者来いろ〳〵芸を致し日本同様也たいこを打笛をふき