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赤宮(あかのみや)《割書:稲荷大明神|勧請の所》の辺にて。晴天(せいてん)七日が間興行有し。是世に名
髙き髙野川原のすまふといへる是なり今に土俵/跡(あと)とて残り
あり。勧進ずまふ初りて二度目の/旧地(きうち)なり。今宝暦十三年未迄
六十三年に成る。其後人皇百十五代。中御門院御宇。正徳五未年
十一月に。又/寺内(じない)破損(はそん)に付。光福寺六代目の住僧。順栄和尚(じゆんゑいおしやう)先年
の例(れい)を以御願申上られ。御免あつて。翌正徳六申年に真葛原(まくずはら)に
おゐて。晴天十日が間有。今宝暦十三未年迄。四十八年に成る。
是より己來勧進相撲相続して。近年は二条川原にて興
行あり年を追て繁栄(はんゑい)す
江戸/勧進(くはんしん)ずまふの始は。人皇百十代明正院御宇。寛永元子のとし。
明石志賀之助といへるもの。初て寄(よせ)相撲と号(なづけ)。四ツ谷塩町におゐ
て。晴天(せいてん)六日興行いたせしか。最初(さいしよ)なり。今宝暦十三未年まて。百
三十九年に及ぶ。其後/故(ゆへ)あつて三十七年/中絶(ちうぜつ)し人皇百十一代。
後西院御宇。寛文元丑年すまふ年寄申合。御願申上。御赦免
有しより相続す。今年迄百三年に成る
大坂勧進ずまふの始は。人皇百十四代。東山院御宇。元禄五申年に
袋屋伊右衛門といへるもの御願申上。初而南堀江高木屋橋筋立
花通にて興行せしが最初なり。其時の場所は四十間四方にて。