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此/小祠(ほこら)は惟喬親王(これたかしんわう)の霊(れい)を祭たるなり。山州(さんしう)風土記(ふどき)に見えたり。捔力(すまふ)
ありし同時代の因縁(ゐんゑん)より。後世(こうせい)あやまつて云伝えたるとさつせら
る。此小祠の辺に土の小髙き所。則(すなはち)右の土俵の跡(あと)なりといへど拾芥
抄にのせたる地理(ちり)の圖(づ)にても明らかなば。其/証拠(しやうこ)おぼつかなし。
後のかんがへを待のみ
勧進相撲開基(くはんじんずまふのかいき)
勧進相撲(くはんじんずまふ)の開基(かいき)を尋(たづぬ)るに。山城国。愛宕郡(おたぎのこをり)田中村(たなかむら)。干菜山(かんさいざん)
光福寺(くはうふくじ)《割書:世俗 ̄ニ云 ̄フ_二|干菜寺(ほしなでら)_一》開山(かいさん)より四代目。宗円和尚(そうゑんおしやう)といへる住僧(ぢうそう)。当山(たうさん)の
鎮守(ちんじゆ)。八幡宮(はちまんくう)再建(さいこん)に付。人皇百十一代。後光明院(ごくはうめうゐんの)御宇。寛永(くはんゑい)廿一
申年十一月《割書:十二月 ̄ニ正保|元年と改元》に。御/願(ねがひ)申上られ。御赦免(ごしやめん)に付。翌(よく)正保二
酉年六月。下鴨会式(しもがもゑしき)《割書:今云|糺凉》の内。十日の間/興行(こうぎやう)ありし。是勧進相撲
の始なり。今宝暦十三未年迄。百十九年に及ぶ。其後凡四十年余。
中絶(ちうぜつ)ありしに。元禄二己【巳】年。山城国/伏見(ふしみ)又/淀(よど)にて。勧進相撲あり。
しかれども京にて有し程(ほど)の事にては侍らず。人皇百十四代。
東山院御宇。元禄十二卯年。洛東(らくとう)岡崎村(おかさきむら)。洛西(らくさい)吉祥院村(きちじやうゐんむら)などにて
も興行あり。又同年に西/朱雀村(しゆしやくむら)にても有しこと諸書に見えたり。
翌元禄十三辰年。又光福寺八幡宮/大破(たいは)に付。五代目の住僧/正慶和(しやうけいお)
尚(しやう)。古例(これい)を引。勧進ずまふ御願申上られ。御免の上。此度は新田村(しんでんむら)