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入口も四所なりし。今宝暦十三未年迄。七十二年におよふ。二
度目大山次郎右衛門。興行せし後中絶し。人皇百十五代。中御門院
御宇享保八卯年。大山次郎右衛門《割書:二代目|大山弟》御願申上。もみ鬮(くじ)と成
たり。今におゐて。毎年十二月廿日に鬮を取。翌年(よくねん)のすまふを定
ること近例(きんれい)なり。今年迄四十一年に成る
右三ヶ條の外諸国に勧進ずまふ。年〳〵興行ありて。年紀の
考(かんがへ)あれど後編(こうへん)に残し筆をさしをく
土俵員数故実(どひやうゐんじゆのこじつ)
土俵(どひやう)を圓(まる)く居るは。大極(たいきよく)を象(かたど)る。四方に四方を合せ。内外にて
三十二俵なり。内土俵十六俵の内。左方に二俵。右方に二俵。合て
四俵のける。左右は両義にて。左方を湯とし右方を法となす。
二俵/宛(づゝ)のけて。一道を作る。今是を二字口(ふじぐち)といふ阿吽(あうん)の二ツより出る
といへり左にあらず。古へ角力すでに始んとせしに。俄(にわか)に大雨の
ふり土俵の中へ水たまりし故。すまふを猶予(ゆうよ)せしとき。左右の土
俵一ツ宛のけ水をながせしにより水流しといふ。しかれ共その
名目今しる人まれなり。内土俵四俵のけて残り十二俵を
十二/支(し)にかどたり。外土俵四俵のけて残り十二俵を十二月に標(へう)
す。近例は内土俵ばかりをのけ。外土俵二俵宛はのけず。内土俵