天保郷帳を翻刻!

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上総国郷帳 - 翻刻

上総国郷帳 - ページ 125

ページ: 125

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一高四百拾七石四斗九升四合    《場所:大竹村》 一高三百三拾七石七斗五升三合   《場所:神房村》          《割書:古者《場所:冨田村》》 一高百八拾六石六斗五升壱合    《場所:北冨田村》          《割書:古者《場所:冨田村》之内》 一高四百弐拾四石九斗七合三勺   《場所:南冨田村》 一高六百四石壱斗壱升       《場所:北幸谷村》 一高千三百拾五石四斗八合     《場所:作田村》 一高百六拾六石九升壱合五勺    《場所:下傍示村》 一高千三百拾壱石九斗三升弐合六勺 《場所:松之郷村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは大竹村は大竹で高は419.003でここの高に非常に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは神房村は神房で2か所ありこの2か所の高の合計は337.753でここの高にぴったり一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは北冨田村は北冨田で2か所ありこの2か所の高の合計は99.611でここの高と違う。角川日本地名大辞典の千葉県大網白里町の北富田村(近世)の項に『元禄年間以降に富田村が南北に分村して成立』とある。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは南冨田村は南冨田で2か所ありこの2か所の高の合計は515.161でここの高と違う。角川日本地名大辞典の千葉県大網白里町の南富田村(近世)の項に『元禄年間以降に富田村が南北に分村して成立』とある。元々北富田村も南富田村も富田村だったので、両者の高を合計すると天保郷帳では611.5583、旧高旧領では615.161でほとんど同じである。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは北幸谷村は北幸谷2か所(高合計:206.556)と北幸谷(北之幸谷):「明治2年改増:18.746」を除いた2か所の高の合計603.810)の3か所がある。ここの高は北幸谷(北之幸谷)に非常に近いのでこちらに相当するものと推定される。旧高旧領の北幸谷の方はのちに出てくる北幸野村に相当する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは作田村は作田で8か所あり、この8か所の高の合計は1339.8895でここの高に非常に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは下傍示村は下傍示で2か所ありこの2か所の高の合計は166.0915でここの高にぴったり一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは松之郷村は松之郷で7か所ありこの7か所の高の合計は1311.9326でここの高にぴったり一致する。】