翻刻
【右頁】
六
点なり
子家次襲きしか天正十八年德川家康の關東八州の地に移るや從て上
州碓井に移封せられ池田輝政代て此地に封ぜられ更に大に城地を修
し豐川の架橋を移轉して木造となしたるが慶長五年十月播州姫路に
移封せらる
池田輝政が豐川の架橋を移轉したる地点は大字船町にして現在の
位置より西方約貳丁の所にあり現在の位置及橋梁は明治十二年の
改設に係る
爾來連續して明治維新に至る吉田城主の畧年表を揭ぐれば乃ち左の
如し
慶長六年二月池田輝政に次ぎ封ぜらる 松平家淸
【左頁】
男 松平忠淸
慶長十七年四月卒し其家絕ゆ
慶長十七年十一月封ぜらる 松平忠利
男 松平忠房
寛永九年七月刈谷に移さる
寛永九年七月松平忠房と交代 水野忠淸
仝十九年九月信州松本に移さる
寛永十九年九月封ぜらる 水野忠善
正保二年正月岡崎に移さる
正保二年正月封ぜらる 小笠原忠知
小笠原長矩《割書:初長賴》
七