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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之4 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之4 - ページ 18

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【右丁】     《割書:筑紫(つくし)のはて吾妻(あつま)の奥(おく)まても騒(さわか)しくなりぬれはひたすら便(たより)を|失(うしな)ひ頼(たの)まぬ磯(いそ)に藻塩(もしほ)の草(くさ)の庵(いほり)をむすひ身馴(みなれ)ぬ蜑(あま)に波(なみ)の》     《割書:枕(まくら)をかはす仮寐(かりね)の夢(ゆめ)の中(うち)に五年(こねん)まてたゝよひたへる|》      こゝのつの品川しるき蓮かなし#1 心敬僧都  東土産     《割書:品川といふ津(つ)にいる人あり和泉(いつみの)堺(さかひ)より来(きた)りて此六七年|住(すめ)りとかや五六日 休息(きうそく)してある夕泙(ゆふなき)に海(うみ)の辺(ほとり)にありきて帰(かへ)りて》      夕なきか冬に入江の朝かすみ   宗長   《割書:江春入_二𦾔年_一といふ事(こと)を思(おも)ひ出て泙(なき)たる夕(ゆふへ)のおほ〳〵と見(み)え渡(わた)る|さまにや安房(あは)上總(かつさ)下總(しもふさ)目(め)の前(まへ)のとろこなるへし下略》    《割書:按(あんする)に宗長(むねなか)は心敬(しんきやう)とほゝ同時の人なり心敬(しんきやう)旧(いにしへ)和泉(いつみ)堺(さかひ)の人にしてこゝに来(きた)りし|事は先(さき)にしるせる紀行(きかう)に詳(つまひらか)なりされは東土産(あつまのつと)に和泉(いつみ)堺(さかひ)より来(きた)りてと》    《割書:あるは此(この)心敬僧都(しんきやうそうつ)の事をいふなるへし|》  澤庵和尚京都記行 過品川   橋過品川倚旅亭   智音携酒好叮嚀   又相別去問前路   吾此生涯水上萍   世をわたるしなかは賤か口にさけひかたに荷ふに憂やしらるゝ 澤庵      品川もつれにめつらし鳫の聲  其角   《割書:按(あんする)に品川(しなかは)の地名(ちめい)の發(おこ)る所(ところ)近(ちか)きにあらず東鑑(あつまかゝみ)承久記(しようきうき)等(とう)の書(ふみ)に品川太郎(しなかわたらう)同(おなしく)|次郎(しらう)同 三郎(さふらう)同 四郎(しらう)同 六郎太郎(ろくらうたらう)同 小三郎實貞(こさふらうさねさた)同 右馬允(うまのせう)同 四郎太郎(しらうたらう)抔(なと)いへる》   《割書:あり又 鎌倉大草紙(かまくらおほさうし)にも品川左京亮(しなかはさきやうのすけ)同 下総守(しもふさのかみ)等(とう)の名(な)を挙(あけ)たり何(いつ)れも|此国(このくに)の住人(ちゆうにん)なり小田原(をたはら)の北条家所領役帳(ほうてうけしよりやうやくちやう)に葛西様御領(かさいさまこりやう)といふ中(なか)に品(しな) 》 【左丁】   《割書:川(かは)南北(なんほく)とあり其頃(そのころ)も二つに分(わか)れてありしと覚(おほ)えたり南向亭(なんかうてい)云く品川(しなかは)旧(いにしへ)下無(しな)|川(かは)といふ此 川(かは)海(うみ)に近(ちか)く下流(かりう)直(すぐ)に海(うみ)に入の故(ゆゑ)にしか名(な)つくると云云かく云へるは今(いま)》   《割書:南北(なんほく)の宿(しゆく)の中間(ちゆうけん)《振り仮名:中の橋|なか  はし》の下(しも)を流(なか)れて海(うみ)に入(いる)所(ところ)の河流(かりう)をいふ是則(これすなはち)品河(しなかは)|なり又 事跡合考(しせきかつかう)に往古(そのかみ)品川(しなかは)髙繩(こうなは)にいたりては乗掛馬(のりかけうま)二疋(  ひき)並(なら)ひて通(とほ)る事》   《割書:あたはさる程(ほと)の狹(せは)き濵路(はまち)なりしを天正(てんしやう)十八年の後(のち)  台命(たいめい)ありて八山(やつやま)の下|より本芝(ほんしは)のあたり迠(まて)道巾(みちはゝ)三十五丈に切開(きりひら)かしめ給ふとなり附(ふ)して云(いふ)訓閲集(くんえつしふ)》   《割書:といへるものゝ中(なか)に武蔵國(むさしのくに)大渡荘(おほとのしよう)にて往古(そのかみ)此奈革(しなかは)を染(そめ)たるとあるを拠(よりところ)として|冬渉(とうしやう)か増補(そうほ)の江戸砂子(えとすなこ)には此地(このち)にて製(せい)する革(かは)なりとおもひ誤(あやま)れり偽書考(きしよかう)》   《割書:にも此(この)訓閲集(くんえつしふ)はいふかしき由(よし)記(しる)せり以(もつ)て證(しよう)としかたし伊勢家(いせけ)の説(せつ)を考(かんか)ふ|るに品革(しなかは)は歯朶革(したかは)の誤(あやまり)なるへしと源平盛衰記(けんへいせいすゐき)に此奈革(しなかは)といふは藍革(あゐかは)に》   《割書:紋(もん)に歯朶(した)をそ付(つけ)たりけるとあるにてもしるへしといへり又したと云ては優美(いうひ)|ならさる故(ゆゑ)にしなとは云しなるへしと云々たなは通音(つうおん)なり》 瑠璃山(るりさん)光巖寺(くわうかんし) 北馬塲(きたはんは)にあり禪宗(せんしう)にして東海寺中(とうかいしちゆう)清德寺(せいとくし)  に属(そく)せり本尊(ほんそん)藥師如来(やくしによらい)は佛工(ふつこう)春日(かすか)の作(さく)なり當寺(たうし)は太田持資(おほたもちすけ)の  建立(こんりふ)にてその影像(えいさう)もあり 恭敬山(くきやうさん)長德寺(ちやうとくし) 四丁目にあり時宗(ししう)にして相州(さうしう)藤澤(ふちさは)の清浄光寺(しやう〳〵くわうし)に  属(そく)す一遍上人(  へん    )第二代 真教房(しんけうはう)の草創(さう〳〵)なり《割書:陀阿弥陀(たあみだ)|佛(ふつ)といへり》本尊(ほんそん)阿弥陀(あみた)  如来(によらい)は定朝(ちやうてう)の作(さく)なり《割書:或人(あるひと)云(いは)く當寺(たうし)の創立(さうりふ)は寛文(くわんふん)四年甲辰にして始(はしめ)東海寺(とうかいし)の|地(ち)にありしを寛永(くわんえい)十四年丁丑 東海寺(とうかいし)御建立(ここんりふ)の时(とき)より今(いま)の地(ち)へ移(うつ)ると云》 《振り仮名:中の橋|なか  はし》 品川驛舎(しなかはえきしや)の中間(ちゆうけん)にあり《割書:此橋(このはし)をもて品川(しなかは)|南北(なんほく)とわかてり》故(ゆゑ)に号(かう)とす此(この)橋下(きやうか)を