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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之4 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之4 - ページ 5

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【右丁 白紙】 【左丁】 萬松山(ばんしようさん)東海禪寺(とうかいせんし) 品川(しなかは)北馬塲(きたはんは)にあり花洛(くわらく)大德寺派(たいとくしは)の禪宗(せんしう)  江戸觸頭(えとふれかしら)の一員(いちゐん)たり當寺(たうし)は輪番(りんはん)にして年〻八月に交代(かうたい)す  寛永(くわんえい)十五年戊寅 台命(たいめい)を奉(ほう)して澤庵和尚(たくあんおしやう)開創(かいさう)する  所(ところ)の禪園(せんえむ)なり《割書:塔中(たつちう)十七|宇(う)あり》  佛殿(ふつてん) 釋尊(しやくそん)の像(さう)を安(あん)す 額(かく)《割書:祈禱堂》天倫筆(てんりんふて) 二重屋根額(にちゆうやねのかく)  《割書:世尊寺殿》同筆(おなしふて) 山門樓上(さんもんろうしやう)に観音(くわんおん)を安(あん)す 額(かく)《割書:潮音閣|十境の一》大明院宮(たいみやうゐんのみや)  公辨法親王真跡(こうへんはふしんわうのしんせき) 中門額(ちゆうもんのかく)《割書:東海禪寺》天倫筆(てんりんふて)  鐘樓(しゆろう)《割書:本堂(ほんたう)の右にあり豁夢(くわつむ)|樓(ろう)と号(かう)す十境の一》 《振り仮名:要津𣘺|えうしんきやう》《割書:南(みなみ)の方にあり|十境の一》 千歲杉(せんさいすき)《割書:同所 𣘺(はし)より|南(みなみ)の方の》  《割書:門(もん)へ行道(ゆくみち)の右にあり寛永(くわんえい)の頃(ころ) 大樹(たいしゆ)命(めい)せられて千歲杉(せんさいすき)と云(いふ)とそ是(これ)も|十境の一也 宝曆(はうりやく)の頃(ころ)暴風(はうふう)に吹折(ふきをれ)たりとて今(いま)は其幹(そのもと)わつかに残(のこ)れり》 浴鳳池(よくほうち)  《割書:方丈(はうちやう)の庭(には)の泉水(せんすゐ)をいふ十境の一なり寺後 ̄ノ|山下 ̄ヨリ清泉流出師引_レ之開_二 一池 ̄ヲ於室之北面 ̄ニ_一云云》 釣玄室(てうけんしつ)《割書:池(いけ)の北(きた)の汀(みきわ)にあり 大樹(たいしゆ)寛永(くわんえい)|二十年 仲秋(ちゆうしう)の頃(ころ)澤庵和尚(たくあんおしやう)と》  《割書:此所(このところ)にて御法問(こはふおん)ありしとなり則(すなはち)十境の一なり東海和尚年賦云寛永二十年癸未仲秋之夕|台駕入_二東海_一翫_二月於山亭_一台𩓲怡怡而出_二山亭_一猶乗_二月明_一倚_二池上小亭_一亦侍_レ傍云云》  豢龍井(けんりようせい)《割書:釣玄室(てうけんしつ)の東(ひがし)に並(なら)ふ寛永(くわんえい)の頃(ころ) 大樹(たいしゆ)御茶(おんちや)の水(みつ)に|掬(きく)せしむその水(みつ)清冷甘美(せいれいかんひ)なり是(これ)も十境の一也》 萬年石(まんねんせき)《割書:池中(ちちゆう)東(ひかし)の方(かた)|にあり十境の》  《割書:一なり寛永(くわんえい)二十年癸未三月十四日 大樹(たいしゆ)當寺(たうし)へ台駕(たいか)を移(うつ)させ給ふ|其時(そのとき)遠州矦(ゑんしうこう)小堀政一(こほりまさかつ)に命(めい)せられてよはせらるゝ所(ところ)なり》

現代語訳

【右丁 白紙】 【左丁】 萬松山東海禅寺 品川北馬場にある。京都大徳寺派の禅宗で、江戸触頭の一員である。当寺は輪番制で、毎年八月に交代する。 寛永十五年戊寅(1638年)、将軍の命を受けて沢庵和尚が開創した禅寺である。《塔中十七宇あり》 仏殿 釈尊の像を安置する。額《祈禱堂》は天倫の筆。二重屋根の額《世尊寺殿》も同じ筆による。 山門楼上に観音を安置する。額《潮音閣 十境の一》は大明院宮公弁法親王の真筆。 中門の額《東海禅寺》は天倫の筆。 鐘楼《本堂の右にあり、豁夢楼と号す。十境の一》 要津橋《南の方にあり、十境の一》 千歳杉《同所、橋より南の方》 《門への道の右にあり。寛永の頃、将軍が命名されて千歳杉と言うとのこと。これも十境の一である。宝暦の頃、暴風で吹き折れたといい、今はその幹がわずかに残っている》 浴鳳池 《方丈の庭の泉水をいう。十境の一である。寺の後ろの山の下より清泉が流れ出て、これを引いて室の北面に一池を開いたという》 釣玄室《池の北の汀にあり。将軍が寛永二十年仲秋の頃、沢庵和尚とこの所で御法問があったとなり、すなわち十境の一である。東海和尚年譜に云う「寛永二十年癸未仲秋の夕、台駕東海に入り、月を山亭に翫ぶ。台顔怡怡として山亭を出で、なお月明に乗じて池上の小亭に倚り、また傍に侍すという》 豢龍井《釣玄室の東に並ぶ。寛永の頃、将軍がお茶の水に汲ませた。その水は清冷甘美である。これも十境の一である》 萬年石《池中東の方にあり、十境の一である。寛永二十年癸未三月十四日、将軍が当寺へ行幸された。その時、遠州侯小堀政一に命じて寄せられた所である》