翻刻
【右丁】
たまふ事もかなはす同き廿四日大相国家つゐにかくれさせ
たまひぬ此後世の中なにとなく静ならす天下みたれん
事近きにありぬと老共ひそめきあへり六月朔日加藤
肥後守忠廣父子配流せらる其罪さたかならす謙友の
人に組せしぬともきこゆさらはいかなる人かゝる企はあらんと
いへともその人も又さたかならすかくて墨染にさきし桜も
梢にのこらす春過夏たけて秋は紅葉の色なるを皆人
花の袂になりゆきいつしか物ことにあらたまりぬる世と
なりて八月の始勅使下向の事ありうこきろく世駁し
めされて人の心さたまる十月廿二日永井信濃守尚政御使を
【左丁】
承て駿河国におもむき青山大蔵少輔幸成は甲斐国に趣く
其餘大名の家人等二十餘人駿河遠江甲斐の国々に向ふ
いかなる事そといふ事をしらす皆人不審しあへり十一月
十六日大納言殿の近習の侍廿余人諸大名にめし預ける
此頃にそ世に此後甲斐国にうつされたまひぬといふ事
をはしれる同し月廿一日永井青山御使より帰り参る
十二月には彼家のおとな鳥居朝倉等の輩能流せらる
明れは十年正月の末大納言殿又上野国高崎の城に移され
安藤右京亮重長に預られたまひぬいかに思し召定られけん
此年十二月六日の夜自御首をかき落してうせたまひし