翻刻
【右丁】
違例する事ありて医療のために都にのほる年廿七
にして同九月十一日終にむなしくなりける嫡子國丸
年終に三歳にて家をつき五郎左衛門尉と申す
元和元年榊原遠江守康勝卒して榊原か家絶ん
とす大御所の仰かうふりて五郎左衛門尉本姓に
かへり祖父式部少輔 康政か家をつきて榊原式部大輔
忠次とめされしかは大須賀の家は絶てけり
【左丁】
平岩
主計頭弓削親吉は徳川譜弟の御家人なりはしめ
徳川殿御幼稚のむかし今川殿へ参らせたまひし時
親吉も童にて《割書:七之助|と申す》御供にさふらひ徳川殿とともに
尾張国にとゝめられ其後本国に帰らせ給ひかさねて
駿河の国府に入らせたまひしにも御供にさふらふ年頃
物うき御梅居の中に同しやうにひとゝなり参らせ弘治
二年の春御歳十五にして御軍初ありしに親吉も生年
十七才始て戦にのそみしよりつねに御陣に随ひて向ふ所
破らすといふ事なく勇才武略のたくましきはかりにも