東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 14

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【右丁】  一振(ひとふり)を納(をさ)め一千三百/餘貫(よくわん)の美田(ひてん)を寄附(きふ)ありて其頃(そのころ)繁昌(はんしやう)の  宮居(みやゐ)たりしに遥(はるか)に後(のち)明應(めいおう)三年/伊勢新九郎氏茂(いせしんくらううちしけ)小田原(おたはら)の  城主(しやうしゆ)大森實頼(おほもりさねより)を亡(ほろほ)して後(のち)威(ゐ)を逞(たくまし)うせし頃(ころ)是(これ)か為(ため)に神(しん)  領(りやう)を掠(かすめ)とらる依(よつ)て宮社(きうしや)は霧(きり)に朽(くち)風(かせ)に破(やふ)れ奉祀(ほうし)の人も  なく大(おほひ)に荒廃(くわうはい)したりしを天正(てんしやう)に至(いた)り四海昌平(しかいしやうへい)の御時(おんとき)  忝(かたちけな)くも台命(たいめい)によつて當社(たうしや)の廃(すた)れたるを興(おこ)し給ひ神領(しんりやう)若(そこ)  干(はく)を附(ふ)せられ又/寛永(くわんえい)十一年甲戌にいたり神殿(しんてん)を修造(しゆさう)  なし給ひしより社頭(しやとう)舊観(きうくわん)に復(ふく)す依(よつて)神燈(しんとう)の光(ひか)りは赫々(かく〳〵)  として和光(わくわう)の月(つき)になそらへ利物(りもつ)の花(はな)ふさは匂(にほ)ひ深(ふか)くして  神威(しんゐ)昔(むかし)に倍(はい)せり《割書:當社(たうしや)の祭礼(さいれい)は九月十六日なり同し十一日より廿一日に|至(いた)るの間/参詣(さんけい)群集(くんしゆ)す商(あきな)ひ物(もの)多(おほ)きか中にも》  《割書:藤(ふち)の花(はな)を画(ゑか)きたる檜割篭(ひのきのわりこ)およひ土生姜(つちしやうか)殊(こと)に夥(おひたゝ)し故(ゆゑ)に世俗(せそく)生姜市(しやうかいち)又|生姜祭(しやうかまつり)とも唱(とな)へたり江戸名所(えとめいしよ)はなしに臼(うす)杵(きね)木鉢(きはち)鮓(すし)菓物(くたもの)多(おほ)しとあれと》  《割書:今(いま)は是(これ)を鬻(ひさ)かす檜割篭(ひのきわりこ)を俗(そく)にちきと名(な)つく又/生姜(しやうか)を賣(うる)事(こと)は尤(もつとも)久(ひさ)し|きよりの事にて其(その)拠(よりところ)をしらす》 宇田川橋(うたかははし) 宇田川町(うたかはちやう)の大通(おほとほ)りを横切(よこきつ)て流(なか)るゝ小溝(こみそ)に架(か)せり 【左丁】 日比谷(ひゝや)  稲荷(いなり)社 毎年(まいとし)初午祭(はつうままつり)には二日 以前より源助町と芝口 三丁目の間の横小路へ 仮(かり)屋を補理ひ神輿(しんよ) 御/旅出(たひで)ありて 此辺の蕃昌(はんしやう) いふはかり    なし 【図】