翻刻
【右丁】
烏森(からすもり)
稲荷(いなり)社
【図】
【左丁】
今(いま)は上(うへ)に土(つち)を覆(おほ)ふ故(ゆゑ)に橋(はし)の形(かたち)を失(しつ)す《割書:宇田(うた)或(あるひ)は|宇多(うた)を作(つく)る》小田原(をたはら)北條(ほうてう)
家(け)の臣(しん)宇多川和泉守(うたかはいつみのかみ)といへる人/架(わた)せしと云(いひ)傳(つた)ふ《割書:小田原記(おたはらき)に大永(たいえい)|四年/上杉修理太夫(うへすぎしゆりのたいふ)》
《割書:朝興(ともおき)北条氏総(ほうてううちつな)【注】に責(せめ)られ品川表(しなかはおもて)にて戦(たゝか)ふと云(いふ)条下(てうか)に氏総(うちつな)【注】朝興(ともおき)を亡(ほろほ)し首(くひ)とも
|実験(しつけん)ありて後(のち)品川(しなかは)の住人(ちゆうにん)宇田川和泉守(うたかはいつみのかみ)以下/降参(かうさん)の者(もの)ともに申つけ普請(ふしん)ねん》
《割書:ころに沙汰(さた)すとあり東海道驛路鈴(とうかいたうえきろのすゝ)に長禄(ちやうろく)元年丁丑四月八日/大田道灌(おほたたうくわん)江戸に|うつる其後(そのゝち)宇田川和泉守長清(うたかはいつみのかみなかきよ)は品川(しなかは)の舘(たち)に住(すむ)とあり又/元禄(けんろく)開板(かいはん)の江戸鹿子(えとかのこ)と|》
《割書:いへる草紙(さうし)に昔(むかし)此所(このところ)へ宇田(うた)といふ刀(かたな)を堕(おと)しける故(ゆゑ)に此名(このな)ありといへ共/證(しやう)とするに|たらす》
日比谷稲荷(ひゝやいなり)祠/芝口(しはくち)三丁目/西(にし)の裏通(うらとほ)りにあり《割書:此所(このところ)町巾(まちはゝ)至(いたつ)て狭(せは)し故(ゆゑ)に|土人(としん)日蔭町(ひかけちやう)と字(あさな)す》
本山方(ほんさんかた)の修験(しゆけん)寂静院(しやくしやうゐん)別當(へつたう)たり萬治(まんち)の頃(ころ)藍屋五兵衛(あいやこひやうゑ)と
いへる者(もの)託宣(たくせん)に依(よつ)て花洛(くわらく)藤森(ふちのもり)の稲荷(いなり)を勧請(くわんしやう)なせしと
いへり《割書:日比谷(ひゝや)昔(むかし)は比々谷(ひゝや)に作る小田原(おたはら)北条家(ほうていけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)にも|比々谷(ひゝや)に作(つく)り此地(このち)を大胡宮内少輔(おほこくないのしやういう)所領(しよりやう)の中(うち)に加(くわ)ふ》
烏森稲荷(からすもりいなり)社 幸橋(さいはひはし)より二丁/斗(はかり)南(みなみ)の方/酒井下野侯邸(さかゐしもつけこうやしき)の北(きた)の
横通(よことほ)りにあり往古(わうこ)よりの鎮座(ちんさ)といへとも年暦(ねんれき)来由(らいゆ)共(とも)に詳(つまひらか)
ならす《割書:元禄(けんろく)開板(かいはん)の江戸/鹿子(かのこ)といへる草紙(さうし)に天慶(てんけう)年間(ねんかん)藤原(ふちはらの)|秀郷(ひてさと)将門(まさかと)退治(たいち)の時(とき)の勧請(くわんしやう)なりといへとも信(しん)としかたし》又/如何(いか)
なる故(ゆゑ)ありてや當社(たうしや)の神宝(しんほう)に古(ふる)き鰐口(わにくち)一口(いつこう)を納(をさ)む《割書:表(おもて)に元暦(けんりやく)|元甲辰年》
【注 「北条氏総」は「北条氏綱」の誤ヵ】