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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 20

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【右丁】  運慶(うんけい)の作(さく)同二/階(かい)の軒(のき)に掲(かゝけ)し愛宕山(あたこさん)の三字は智積院(ちしやくゐん)権(こん)  大僧正(たいそうしやう)の筆(ふて)なり別當(へつたう)圓福教寺(ゑんふくけうし)は石階(せきかい)の下にあり新義(しんき)の  真言宗(しんこんしゆう)江戸の触頭(ふれかしら)四箇寺(しかし)の随一(すゐいち)なり開山(かいさん)を神證(しんしやう)上人と  號(かう)す二世(にせ)俊賀(しゆんか)上人といふ《割書:四箇寺(しかし)とは湯島根生院(ゆしまこんしやうゐん)本所弥勒寺(ほんしよみろくし)|當所真福寺(たうしよしんふくし)並に當寺をいふ》  《割書:神證(しんしやう)上人/字(あさな)を春音(しゆんおん)といひ後(のち)あらためて春香(しゆんかう)と号(かう)す下/野(つけ)の人にして姓(せい)は|塩谷氏(えんやうち)母(はゝ)は皆川氏(みなかはうち)なり元和(けんわ)五年 鈞命(きんめい)に依(よつ)て金剛院(こんかうゐん)に退去(たいきよ)をゆるされ》  《割書:天年(てんねん)を終(を)ふ春音(しゆんおん)の坊(ほう)は遍照院(へんせうゐん)と号(かう)す今の圓(ゑん)福寺/是(これ)なり金剛院(こんかうゐん)普賢院(ふけんゐん)|満蔵院(まんさうゐん)鏡照院(きやうせうゐん)壽桂院(しゆけいゐん)等(とう)すへて六/院(ゐん)あり俊賀(しゆんか)上人/字(あさな)は圓精(ゑんせい)と号(かう)す野州(やしう)》  《割書:西方邑(にしかたむら)の人/姓(せい)は越路(こしち)氏にして宇都宮(うつのみや)弥三郎/頼綱(よりつな)か後裔(こうえい)父(ちゝ)は伊勢守近律(いせのかみちかのり)神(しん)|祠(し)に祈(いのり)て産(さん)す其始(そのはしめ)下妻(しもつま)の圓福寺(ゑんふくし)に住(ちゆう)す然(しか)るに其頃(そのころ)下総(しもふさ)結城(ゆうき)の元寿(けんしゆ)上州(しやうしう)》  《割書:松井田秀算(まつゐたしうさん)等(ら)一世の豪俊(かうしゆん)にして俊賀(しゆんか)上人をあはせて新義(しんき)の三/傑(けつ)と称(しよう)せらる|元和(けんわ)五年/俊賀(しゆんか)上人/愛宕権現(あたここんけん)の別當(へつたう)に命(めい)せられ共(とも)に圓(ゑん)福寺の号(かう)を以て一宇(いちう)を》  《割書:闢(ひら)かしめ給ひ永(なか)く大法幢(たいほふとう)を樹(たて)大法鼓(たいほふこ)を撃(うち)夏冬(かとう)廃(すつ)る事なし終に檀林職(たんりんしよく)と|なる学徒(かくと)業(けう)々として雲(くも)の如(こと)く屯(むらか)り川の如く起(おこ)る実(しつ)に江城(こうしやう)檀林(たんりん)の権輿(はしめ)なり》  縁起曰(えんきにいはく)天平(てんへい)十年戊寅/行基大士(きやうきたいし)江州(こうしう)信楽(しからき)の辺(へん)行化(きやうくゑ)の時(とき)當(たう)  社(しや)の本地(ほんち)将軍地蔵尊(しやうくんちさうそん)の像(さう)を彫刻(ちやうこく)し給ひ後(のち)安部内親王(あへないしんわう)に  奉(たてまつ)る《割書:第四十六代 孝謙(かうけん)|天皇(てんわう)の御事なり》親王(しんわう)則(すなはち)彼地(かのち)に宝祠(ほうし)を営(いとな)みて是(これ)を安置(あんち)なし  給ふ《割書:其旧跡(そのきうせき)をも今(いま)|宮村(みやむら)と名(な)つく》然(しか)るに天正(てんしやう)十年壬午の夏(なつ)  台旗(たいき)泉州(せんしう)を 【左丁】  發(はつ)し給ひ大和路(やまとち)より宇治(うち)を経(へ)て江州信楽(こうしうしからき)に入(いら)せ賜(たま)ふ此時(このとき)  多羅尾四郎右衛門(たらをしらうゑもん)といへる者(もの)の宅(たく)に舎(やと)らせられける頃(ころ)あるし  此像(このさう)を献(けん)す《割書:多羅尾家譜(たらをかふ)にいふ左京進光俊(さきやうのしんみつとし)初(はしめ)て多羅尾(たらを)と号(かう)す|其子(そのこ)常陸介綱知(ひたちのすけつなとも)三好(みよし)若江(わかえ)の三人/衆(しゆ)といふ其子(そのこ)四郎兵衛(しらうひやうゑ)》  《割書:光綱(みつつな)江州信楽(こうしうしからき)を領(りやう)すと云々/多羅尾(たらを)は四郎左衛門(しらうさゑもん)に|あらす四郎兵衛光綱(しらうひゃうゑみつつな)入道(にふたう)道賀(たうか)の事なるへし》其節(そのせつ)同國(とうこく)磯尾村(いそをむら)の  沙門(しやもん)神證(しんしやう)といふを供(く)せられ此霊像(このれいさう)を持(ち)して東國(とうこく)に赴(おもむき)給ふ  爾(しかりし)より 御出陣毎(こしゆつちんこと)に神證(しんしやう)をして此(この)勝軍地蔵尊(しようくんちさうそん)を祈念(きねん)  せしめたる遂(つひ)に慶長(けいちやう)八年癸卯の夏(なつ) 台命(たいめい)によつて同庚  子年/石川六郎左衛門尉(いしかはろくらうさゑもんのしやう)當山(たうさん)を闢(ひら)き假(かり)に堂宇(たうう)を造建(さうこん)し  給ひ其後(そのゝち)同十五年庚戌/本社(ほんしや)を始(はしめ)悉(こと〳〵)く御建立(ここんりふ)有/元和(けんわ)三年  丁巳/同國(とうこく)豊島郡(としまこほり)王子邑(わうしむら)に於(おい)て百石(ひやくこく)の社領(しやりやう)を附(ふ)し給ふ  となり《割書:惣鹿子(さうかのこ)といへる冊子(さうし)に此地(このち)は元(もと)櫻田(さくらた)の村民(そんみん)内藤(ないとう)六郎といへる人の|宅地(たくち)なりしを沙門(しやもん)春音(しゆんおん)慶長(けいちやう)庚子の御出陣(こしゆつちん)に勝軍(しようくん)の法(ほふ)を》  《割書:修(しゆ)せし地(ち)にて凶徒(けうと)御征伐(こせいはつ)ありしによりて當社(たうしや)を御/建立(こんりふ)ありしと云々又/同書(とうしよ)に|慶長(けいちやう)八年九月廿四日/貴賤(きせん)の参詣(さんけい)を許(ゆる)さるゝとあり江戸名勝志(えとめいしようし)同/名所(めいしよ)はなし》  《割書:等(とう)に始(はしめ)山城(やましろ)の愛宕(あたこ)を遠州(ゑんしう)鳴子坂(なるこさか)に勧請(くわんしやう)し夫(それ)より駿州(すんしう)宇津屋(うつのや)に移(うつ)し後(のち)|又/爰(こゝ)に安置(あんち)す慶長(けいちやう)の頃(ころ)本多美濃守(ほんたみのゝかみ)の家臣(かしん)都築(つつき)某(それかし)といへる人の勧請(くわんしやう)なり》