翻刻
【右丁】
《割書:とあり此説(このせつ)圓福寺(ゑんふくし)に云/傳(つた)ふる事なく證(しよう)とすへからす按(あんする)に此山の地主神(ちしゆしん)は毘沙門天(ひしやもんてん)なりとて|今(いま)も本社(ほんしや)の相殿(あいてん)に安置(あんち)す毎歳(まいさい)正月三日/毘沙門(ひしやもん)の使(つかひ)と称(しよう)する舊礼(きうれい)の式(しき)あり其式(そのしき)画上(くわしやう)に詳(つまひらか)》
《割書:なり按(あんする)に當寺(たうじ)開山(かいさん)俊賀師(しゆんかし)は始(はしめ)野州(やしう)にあり野州辺(やしうへん)こと〳〵くこの強飯(こうはん)の式(しき)ありて世(よ)に所謂(いわゆる)|日光(につくわう) の古式に准(なら)ふて當寺(たうし)に行ふものも恐らくは俊賀(しゆんか)上人より始るならん歟》
抑(そも〳〵)當山(たうざん)は懸岸壁立(けんかんへきりふ)して空(くう)を凌(しの)き六十八/級(きう)の石階(せきかい)は畳々(てう〳〵)として
雲(くも)を挿(さしはさむ)が如(ごと)く聳然(しうぜん)たり山頂(さんちやう)は松柏(しようはく)欝茂(うつも)し夏日(かじつ)といへとも
こゝに登(のほ)れは涼風凛々(りやうふうりん)としてさながら炎暑(えんしよ)をわする見落(みおろ)せは
三條九陌(さんてうきうはく)の万戸千門(まんこせんもん)は甍(いらが)をつらねて所(ところ)せく海水(かいすゐ)は渺焉(へうえん)と
ひらけて千里(せんり)の風光(ふうくわう)を貯(たくは)へ尤(もつとも)美景(びけい)の地(ち)なり月(つき)ごとの廿四日は
縁日(えんにち)と称(しよう)して参詣(さんけい)多(おほ)くとりわき六月二十四日は千日参(せんにちまゐり)と号(なつ)
けて貴賤(きせん)の群参(くんざん)稲麻(たうま)の如(こと)し《割書:縁日(えんにち)ごとに植木(うゑき)の市(いち)立(たち)て四時(しいじ)の|花木(くわぼく)をこゝに出(いた)す尤(もつとも)壮観(さうくわん)なり》
萬年山(まんねんざん)青松寺(せいしようし)同/南(みなみ)に隣(とな)る曹洞派(さうとうは)の禅刹(せんせつ)にして江戸(えと)
三箇寺(さんがじ)の一員(いちゐん)たり本尊(ほんぞん)は釈迦如来(しやかによらい)開山(かいさん)を雲崗俊徳大(うんかうしゆんとくだい)
和尚(おしやう)といふ文明年間(ぶんめいねんかん)太田左衛門佐持資(おほたさゑもんのすけもちすけ)草創(さう〳〵)す初(はじめ)は貝(かひ)
塚(つか)の地(ち)にありしを後(のち)《割書:或云(あるひはいふ)天正(てんしやう)|又/慶長(けいちやう)共》此地(このち)に遷(うつ)さる《割書:故(ゆゑ)に今(いま)も俗(ぞく)に貝塚(かひつかの)|青松寺(せいしようじ)と称(しよう)せり》
【左丁】
《割書:一に青松寺(せいしようし)の旧地(きうち)は今(いま)の平川馬場(ひらかははゝ)の南の方なりと云々/南向亭(なんかうてい)云く青松甲斐(あをまつかひ)|と云人/草創(さう〳〵)す其旧跡(そのきうせき)は糀町(かうしまち)の貝塚(かひつか)當時(たうし)玉虫(たまむし)八左衛門といへる屋鋪(やしき)にありて》
《割書:彼墓(かのはか)を甲斐塚(かひつか)と云と菊岡沾涼(きくをかせんりやう)は青松宮内(あをまつくない)と云人の建立(こんりふ)なりといへり又/當(たう)|寺(し)に太田道灌(おほたたうくわん)の塚(つか)ありといへ共/詳(つまひらか)ならす》
當寺(たうし)の後(うしろ)の山を含海山(かんかいさん)と号(なつ)く眺望(てうまう)愛宕山(あたこさん)に等(ひと)しく美景(ひけい)の
地(ち)なり惣門(さうもん)の額(かく)万年山(まんねんさん)の三大字(さんたいし)は閩沙門(みんのしやもん)道霈(たうはい)の筆(ふて)
なり
勝林山(しようりんさん)金地院(こんちゐん) 増上寺(そうしやうし)の西(にし)切通(きりとほし)の上(うへ)にあり京師(けいし)南禅寺(なんせんし)の
塔頭(たつちう)にして南禅寺(なんせんし)の宿寺(しゆくし)なり五山(こさん)の僧録(そうろく)と称(しよう)す本尊(ほんそん)は
唐佛(たうふつ)の聖観世音菩薩(しやうくわんせおんほさつ)なり《割書:或人云(ある人のいふ)宋人(さうひと)陳和卿(ちんくわけい)か作(さく)なりといふ|毎月十八日/観音懺法(くわんおんせんほふ)修行(しゆきやう)す》
開山(かいさん)を大業和尚(たいきやうおしやう)と云(いふ)《割書:其頃(そのころ)碩学(せきかく)なりけれは五山の僧禄司(そうろくし)に命(めい)せられ|評定衆(ひやうちやうしゆ)に加(くは)へ給ひ寺社(ししや)の訴(うつた)へを決断(けつたん)せしむ》
《割書:都留(つる)の毛衣(けころも)と云(いふ)草紙(さうし)に古(いにしへ)は寺社(ししや)裁許(さいきよ)の事/金地院(こんちゐん)|斗(はか)らひけるか寛永中(くわんえいちゆう)より武家(ふけ)の職(しよく)となる云々》境内(けいたい)に青葉楓(あをはのかへて)と
称(しよう)する古木(こほく)ありしか今(いま)は焼亡(やけほろ)ひてなしといへり《割書:此木(このき)も昔(むかし)當寺(たうし)|御城内(こしやうない)にありし》
《割書:頃(ころ)の物(もの)にて後(のち)此地(このち)へ|栽(うへ)るといへり》閻魔王(えんまわう)の石像(せきさう)は塔中(たつちゆう)二玄庵(にけんあん)の前(まへ)にあり
宝永(ほうえい)の頃(ころ)南部(なんふ)の領主(りやうしゆ)霊尓(れいし)に依(よつ)て彼地(かのち)より麻布(あさふ)の別荘(へつさう)に