翻刻
【右丁】
太田道灌(おほたたうくわんの)城跡(しろあと) 或(あるひ)は番神山(ばんしんさん)とも号(かう)す西窪(にしのくほ)仙石家(せんこくけ)弟宅(やしき)の地(ち)なり
といふ《割書:紫(むらさき)の一本(ひともと)にいふこゝも太田道灌(おほたたうくわん)取立(とりたて)し城地(しやうち)なり|今(いま)は土取場(つちとりば)となりても【ひたヵ】と堀(ほり)崩(くつ)せしと云々》又(また)昔(むかし)此地(このち)に小堂(しやうだう)
ありて土佛(とふつ)の釈迦(しやか)を安置(あんち)し法華堂(ほつけだう)と号(なつ)く後(のち)豆州(つしう)玉澤(たまさは)
法華寺(ほつけし)の日朗上人(にちらうしやうにん)持念(ちねん)する所(ところ)の墨画(すみゑ)の三十/番神(はんしん)の画影(くわえい)を
携(たつさへ)来(きた)りて諸人(しよにん)を結縁(けちえん)す然(しかる)に小田原(をたはら)北条氏(ほふでううち)後(のち)に社(やしろ)を建(たて)て
彼(かの)番神(ばんしん)を勧請(くわんしやう)す故(ゆゑ)に番神山といふ其(その)画像(くわさう)は後(のち)京師(けいし)に
移(うつ)すとあり
西窪八幡宮(にしのくほはちまんくう) 同所(とうしよ)天徳寺(てんとくし)裏門(うらもん)より南(みなみ)の方(かた)三町/程(ほと)飯倉(いひくら)町
一丁目にあり別當(べつたう)は天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)の末(まつ)八幡山(やはたさん)普門院(ふもんゐん)
と号(かう)す西窪の鎮守(ちんしゆ)にして旅所(たひしよ)は小山(こやま)にあり相傳(あひつた)ふ當社(たうしや)八幡(はちまん)
宮(くう)は寛弘年間(くわんこうねんかん)の鎮座(ちんさ)なりといへり慶長(けいちやう)五年/関原(せきかはら)御一戦(こいつせん)の時(とき)
崇源院殿(そうけんゐんてん)より其(その)軍(いくさ)御勝利(こしようり)と御安全(こあんせん)との御願書(こくわんしよ)をこめ
られ別當(べつたう)秀圓(しうゑん)御祈禱(こきたう)修行(しゆきやうす)はたして其(その)奇特(きとく)ありけれは
【左丁】
西久保八幡宮(にしのくほはちまんくう)
【図】
【枠内】別當
【枠内】本社
【枠内】かくら所
【枠内】いなり
【枠内】人丸