東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 26

ページ: 26

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【右丁】 太田道灌(おほたたうくわんの)城跡(しろあと) 或(あるひ)は番神山(ばんしんさん)とも号(かう)す西窪(にしのくほ)仙石家(せんこくけ)弟宅(やしき)の地(ち)なり  といふ《割書:紫(むらさき)の一本(ひともと)にいふこゝも太田道灌(おほたたうくわん)取立(とりたて)し城地(しやうち)なり|今(いま)は土取場(つちとりば)となりても【ひたヵ】と堀(ほり)崩(くつ)せしと云々》又(また)昔(むかし)此地(このち)に小堂(しやうだう)  ありて土佛(とふつ)の釈迦(しやか)を安置(あんち)し法華堂(ほつけだう)と号(なつ)く後(のち)豆州(つしう)玉澤(たまさは)  法華寺(ほつけし)の日朗上人(にちらうしやうにん)持念(ちねん)する所(ところ)の墨画(すみゑ)の三十/番神(はんしん)の画影(くわえい)を  携(たつさへ)来(きた)りて諸人(しよにん)を結縁(けちえん)す然(しかる)に小田原(をたはら)北条氏(ほふでううち)後(のち)に社(やしろ)を建(たて)て  彼(かの)番神(ばんしん)を勧請(くわんしやう)す故(ゆゑ)に番神山といふ其(その)画像(くわさう)は後(のち)京師(けいし)に  移(うつ)すとあり 西窪八幡宮(にしのくほはちまんくう) 同所(とうしよ)天徳寺(てんとくし)裏門(うらもん)より南(みなみ)の方(かた)三町/程(ほと)飯倉(いひくら)町  一丁目にあり別當(べつたう)は天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)の末(まつ)八幡山(やはたさん)普門院(ふもんゐん)  と号(かう)す西窪の鎮守(ちんしゆ)にして旅所(たひしよ)は小山(こやま)にあり相傳(あひつた)ふ當社(たうしや)八幡(はちまん)  宮(くう)は寛弘年間(くわんこうねんかん)の鎮座(ちんさ)なりといへり慶長(けいちやう)五年/関原(せきかはら)御一戦(こいつせん)の時(とき)  崇源院殿(そうけんゐんてん)より其(その)軍(いくさ)御勝利(こしようり)と御安全(こあんせん)との御願書(こくわんしよ)をこめ  られ別當(べつたう)秀圓(しうゑん)御祈禱(こきたう)修行(しゆきやうす)はたして其(その)奇特(きとく)ありけれは 【左丁】 西久保八幡宮(にしのくほはちまんくう) 【図】 【枠内】別當 【枠内】本社 【枠内】かくら所 【枠内】いなり 【枠内】人丸