翻刻
【右丁】
寛永(くわんえい)十一年甲戌二月/終(つひ)に宮社(きうしや)御建立(ここんりふ)ありしといへり祭禮(さいれい)は
毎歳(まいさい)八月十五日なり
飯倉(いひくら)西窪(にしのくほ)の南を云(いふ)此地(このち)は往古(そのかみ)伊勢太神宮(いせたいしんくう)の神厨(みくりや)の地たり
し故(ゆゑ)に其(その)御饌料(こせんれう)の稲(いね)を収(をさ)めし倉を飯倉(いひくら)と唱(とな)へいつしか
地名(ちめい)に呼(よひ)けるなるへし《割書:永禄(えいろく)の頃小田/原(はら)北条家(はふてうけ)の臣(しん)大草左近太夫(おほくささこんのたいふ)|飯倉弾正忠(いひくらたんしやうのちう)太田新(おほたしん)六郎/島津孫(しまつまこ)四郎/等(ら)此》
《割書:地(ち)を領(りやう)せしよし北条家(はふてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に見えたり同書(とうしよ)に飯倉の内(うち)櫻田(さくらた)と|あれは往古(わうこ)飯倉の地(ち)の廣(ひろ)かりし事しるへし又(また)駒込(こまこめ)吉祥寺(きちしやうし)に蔵(さう)する》
《割書:所の北条家人(はふてうのけにん)遠山左衛門太夫政景(とほやまさゑもんのたいふまさかけ)元亀(けんき)二年江戸にて五十五/貫(くわん)六百八十五文|の地(ち)を彼(かの)寺(てら)に寄附(きふ)する状(しやう)に飯倉の地名(ちめい)ありて此中三貫三百文は以前(いせん)より》
《割書:箕輪大蔵(みのわおほくら)か寄附せし地なりとあり猶(なほ)前(まへ)の芝神明宮(しはしんめいくう)の条下(てうか)にも|神鳳抄(じんほうしやう)東鑑(あつまかゝみ)等(とう)の書(しよ)を引(ひき)拠(よりところ)とす照合(てらしあは)せて見るへし》
熊野権現(くまのこんけん)宮 飯倉(いひくら)町にあり或人(あるひと)云(いふ)養老年間(やうらうねんかん)芝(しは)の海濱(かいひん)に
勧請(くわんしやう)ありしを遥(はるか)の後(のち)今(いま)の地(ち)に移(うつ)さるとそ別當(へつたう)は三集山(さんしふさん)
正宮寺(しやうくうし)といふ天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)せり《割書:毎年六月朔日より三日|まて祭礼を修行す》
勝手(かつて)ゕ原(はら) 土器(かはらけ)町より赤羽(あかはね)へ出(いつ)る廣小路(ひろこうち)の辺をいふとそ昔(むかし)は三田(みた)の
方へかけて廣寞(くわうはく)の原野(けんや)なりしかは太田道灌(おほたたうくわん)江戸の城(しろ)より
【左丁】
飯倉(いひくら)
熊野権現(くまのこんけん)社
【図】
【枠内】本社
【枠内】水神秋葉
【枠内】いなり
【枠内】地蔵