翻刻
【右丁】
勢(せい)を出(いた)す時(とき)は此所(このところ)にて人数(にんす)を揃(そろへ)られたりしとなり
赤羽川(あかはねかは) 渋谷川(しふやかは)の下流(かりう)なり新堀(しんほり)と号(なつ)く《割書:延宝江戸図(えんはうえとつ)に麻布(あさふ)|新堀(しんほり)とあり元禄(けんろく)開板(かいはん)》
《割書:の江戸鹿子(えとかのこ)といへる草紙(さうし)に|此(この)河(かは)の上に赤羽(あかはね)の池(いけ)と云(いふ)ありと云々》元禄(けんろく)の始(はしめ)鈞命(きんめい)によつて是(これ)を掘(ほ)らしめ
たまふとなり《割書:江戸名勝志(えとめいしようし)に溝口信濃守(みそくちしなのゝかみ)伊達美作守(たてみまさかのかみ)|の両侯(りやうこう)これを承(うけたま)はられたりとあり》
赤羽橋(あかはねはし) 同(おな)し流(なかれ)に架(か)す按(あんする)に赤羽(あかはね)は赤埴(あかはに)の轉(てん)したるならん歟(か)
此辺(このへん)茶店(さてん)多(おほ)く河原(かはら)の北(きた)には毎朝(まいてう)肴市(さかないち)立(たち)て繁昌(はんしやう)の地(ち)なり
心光院(しんくわうゐん) 同所(とうしよ)橋(はし)より北(きた)の河原道(かはらみち)より右(みき)にあり増上寺(そうしやうし)の別(へつ)
院(ゐん)にして宝暦(はうれき)の頃(ころ)縁山(えんさん)より此地(このち)に移(うつ)さる《割書:其(その)旧地(きうち)は涅槃門(ねはんもん)|の辺(へん)なりと云》當(たう)
寺(し)は鎮西(ちんせい)上人の古跡(こせき)にして常行念佛(しやうきやうねんふつ)の道場(たうちやう)なり惠照(ゑせう)
律院(りつゐん)光阿(くわうあ)上人/開基(かいき)たり《割書:光阿(くわうあ)上人は横連社縦誉(わうれんしやしゆうよ)心岩頑夢(しんかんくわんむ)と号(かう)す|加州(かしう)小松(こまつ)の人/姓(せい)は加波氏(かはうち)越前(ゑちせん)浄光院(しやうくわうゐん)の随(すゐ)》
《割書:流(りう)に投(たう)して剃染流頓(ていせんりうとん)に嗣法(しはふ)す宝永(はうえい)三年乙卯八月晦日/當寺(たうし)に於(おい)て寂(しやく)する由(よし)傳燈(てんとう)|系図(けいつ)に見えたり加州(かしう)大日寺(たいにちし)及(およ)ひ當寺(たうし)并/惠照院(ゑせうゐん)等(とう)を開基(かいき)し不断念佛(ふたんねんふつ)の道場(たうちやう)を刱(はし)む》
布引観世音菩薩(ぬのひきくわんせおんほさつ)《割書:境内(けいたい)に安(あん)す本尊(ほんそん)は馬頭観音(はとうくわんおん)にして増上寺(そうしやうし)の行者(きやうしや)文周(ふんしう)|代(よ)々これを奉持(ほうち)するといへり慶長(けいちやう)の頃(ころ)丹羽五郎左衛門尉(にはこらうさゑもんのしやう)》
《割書:長重(なかしけ)奥州(おうしう)二本松(にほんまつ)に在國(さいこく)の時(とき)ある日(ひ)城下(しやうか)に出(いて)られしに熊野道者(くまのたうしや)の馬(うま)に乗(しやう)するあり|其(その)馬(うま)駿足(しゆんそく)なりけれは農民(のうみん)に乞(こ)ふて長重(なかしけ)乗(のり)試(こゝろむ)るに実(しつ)に名馬(めいは)なりけれは則(すなはち)名(な)を》
【左丁】
《割書:道者(たうしや)と唱(とな)ふ終(つひ)に 大将軍家(たいしやうくんけ)へ献(けん)す駈(かけ)を追(おは)せ給ふに布(ぬの)一端(いつたん)を後輪(うしろは)の塩手(しほて)|両方(りやうはう)にむすひ附(つけ)給ふに彼(かの)布(ぬの)一文/字(し)に翻(ひるかへ)る故(ゆゑ)に改(あらため)て布引(ぬのひき)と命(めい)せられて愛(あい)し》
《割書:給ひしかは彼馬(かのうま)斃(へい)するの後(のち)増上寺(そうしやうし)境内(けいたい)に埋(うつ)めて石塔(せきたう)を建(たて)たりしか其後(そのゝち)又(また)|件(くたん)の石塔(せきたう)を本尊(ほんそん)として馬頭観音(はとうくわんおん)に崇(あか)むるとなり宝暦(はうれき)の頃(ころ)寺(てら)と共(とも)に此地(このち)へ》
《割書:引(ひか)れたりし|といへり》
竹女水盤(たけちよすゐはん)《割書:新著聞集(しんちよもんしふ)に云/江戸(えと)大傳馬(おほてんま)町/佐久間勘解由(さくまかけゆ)か召仕(めしつかひ)の下女(けちよ)たけは|天性(てんせい)仁慈(しんし)の志(こゝろさし)深(ふか)く朝夕(てうせき)の飯米(はんまい)己(おのれ)か分(ふん)は乞丐人(こつかいにん)に施(ほとこ)し其(その)身(み)は》
《割書:水盤(すゐはん)の角(すみ)に網(あみ)を置(おき)て洗(あら)ひ流(なか)しの飯(いひ)をうけ其(その)溜(たま)りしものを自(みつか)らの食料(しよくりやう)とす|常(つね)に称名(しょうみやう)怠(おこた)る事なく終(つひ)に大往生(たいわうしやう)を遂(とけ)しとなり彼(かの)竹女(たけちよ)か常(つね)に網(あみ)をあて置(おき)し》
《割書:水盤(すゐはん)は今(いま)増上寺(そうしやうし)念佛堂(ねんふつたう)心光院(しんくわうゐん)の門(もん)の天井(てんしやう)に掛(かけ)てありとみゆ件(くたん)の水盤より光(くわう)|明(めう)を放(はな)ちたりし事は當寺(たうし)の縁起(えんき)の中に詳(つまひらか)なり》
芝浦(しはうら) 本芝(ほんしは)町の東(ひかし)の海濱(かいひん)をいふ芝口(しはくち)新橋(しんはし)より南田町(みなみたまち)の邊(へん)迄(まて)の
惣名(さうみやう)なり上古(しやうこ)は芝(しは)を竹柴(たけしは)の郷(かう)といひしを後世(こうせい)上略(しやうりやく)して柴(しは)
とのみ呼(よひ)来(きた)れり又(また)文字(もんし)も芝(しは)に書改(かきあらため)たりとそ《割書:更級日記(さらしなにき)に竹柴(たけしは)の|郷(かう)といふ事を挙(あけ)たり》
《割書:猶(なほ)三田(みた)済海寺(さいかいし)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり南向亭(なんかうてい)云(いはく)芝(しは)といふは彼地(かのち)の古老(こらう)の説(せつ)に海岸(かいかん)|近(ちか)き所(ところ)に柴(しは)を建(たて)海苔(のり)のかゝるをとる故(ゆゑ)に木(き)の小枝(こえた)を柴(しは)といふより地名(ちめい)によひ》
《割書:しか後(のち)芝(しは)に改(あらため)作(つく)る歟(か)と云々/按(あんする)に此(この)説(せつ)是(せ)ならす海苔(のり)をとるは元浅草(もとあさくさ)の辺(へん)のみ|にて昔(むかし)は今(いま)の如(こと)く品川(しなかは)にはなかりしなれは古(いにし)へにいはんは断(ことはり)なきに似(に)たり》
此地(このち)を雑魚場(さこは)と号(なつ)け漁猟(きよりやう)の地(ち)たり此(この)海(うみ)より産(さん)するを芝(しは)
肴(さかな)と称(しよう)して都下(とか)に賞(しやう)せり