翻刻
【右丁】
開山(かいさん)酉誉(いうよ)上人/諱(いみな)は聖聰大蓮社(せいさうたいれんしや)と号(かう)す《割書:鎮西正統(ちんせいしやうとう)弟|八世の祖(そ)とす》貞治(ていち)五年
七月十日《割書:千葉系図(ちはけいつ)貞治(ていち)二年|六月三日とあり》北総(ほくさう)の千葉(ちは)に生(うま)る父(ちゝ)は千葉陸奥守(ちはむつのかみ)
氏胤(うちたね)母(はゝ)は新田氏(につたうち)なり童名(とうみやう)を徳壽丸(とくしゆまる)と云(いふ)《割書:一書(いつしよ)に徳(とく)|千代(ちよ)とあり》加冠(かくわん)して
胤明(たねあきら)と称(しよう)す出離(しゆつり)の志(こゝろさし)深(ふか)く釋典(しやくてん)を慕(した)ふ九歳にして遂(つひ)に同國(とうこく)
千葉寺に入(いつ)て落飾(らくしよく)し初(はしめ)て密教(みつきやう)を学(まな)ひ後(のち)冏公(けいこう)に投帰(たうき)して浄(しやう)
宗(しゆう)に入/智道(ちたう)倍(ます〳〵)熾(さかん)なり其後(そののち)武州(ふしう)豊島郡(としまこほり)江戸(えと)貝塚(かひつか)の光明寺(くわうみやうし)に
住(ちゆう)せらる《割書:今(いま)の増上寺(そうしやうし)是(これ)なり江戸名勝志(えとめいしようし)に云/増上寺(そうしやうし)の|旧地(きうち)は糀(かふし)町一丁目/越後(ゑちこ)やしきと云(いふ)辺(へん)なりとあり》此寺(このてら)始(はしめ)は真言(しんこん)瑜伽(ゆか)の
道場(たうしやう)なりしか竟(つひ)に光明寺(くわうみやうし)を改(あらため)て三縁山(さんえむさん)増上寺(そうしやうし)と号(かう)し宗(しゆう)
風(ふう)をも轉(てん)して浄業(しやうこう)の精舎(しやうしや)とす永享(えいきやう)十二年庚申七月十八日
寂(しやく)す歳(とし)七十五/臘(らう)六十七《割書:東國高僧傳(とうこくかうそうてん)に應永(おうえい)二十四年|に寂(しやく)す壽(しゆ)詳(つまひらか)ならすとあり》中興開山(ちゆうこうかいさん)
勅賜(ちよくし)普光観智國師(ふくわうくわんちこくし)諱(いみな)は存應(そんおう)字(あさな)は慈昌貞蓮社源誉(ししやうていれんしやけんよ)上人
と号(かう)す《割書:平山左衛門尉季重(ひらやまさゑもんのしやうすゑしけ)の後裔(こうえい)なり傳燈(てんとう)|系図(けいつ)に云/姓(せい)は由木(ゆき)又は金吾校尉(きんこかうゐ)源利重(みなもとのとししけ)云々》天文(てんふん)十三年《割書:護國篇(ここくへん)|十年に作(つく)る》
武州(ふしう)由木(ゆき)に生(うま)る始(はしめ)衣(ころも)を片山(かたやま)の宝臺寺(ほうたいし)に摳(かいつくろ)ひ十八歳/感誉(かんよ)
【左丁】
三(さん)
縁(えん)
山(さん)
増(そう)
上(しやう)
寺(し)
【図】
【枠内】馬場
【枠内】神明宮