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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 39

ページ: 39

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【右丁】  すといひ傳(つた)ふ旧地(きうち)は窪三田(くほみた)にあり《割書:土人(としん)云/當社(たうしや)は延喜式(えんきしき)の神名記(しんみやうき)|及(およ)ひ武蔵風土記(むさしふとき)等(とう)の書(しよ)に載(のす)る》  《割書:所(ところ)の薭田神社(ひゑたのしんしや)是(これ)なり今(いま)も其(その)旧地(きうち)に|一社(いつしや)あり窪三田八幡宮(くほみたはちまんくう)と称(しよう)す》正保年間(しやうほねんかん)今(いま)の地(ち)へ移(うつ)し奉(たてまつ)るといへり  此地(このち)後(うしろ)は山林(さんりん)にして前(まへ)は東海(とうかい)に臨(のそ)む故(ゆゑ)に風光(ふうくわう)秀美(しゆうひ)なり  別當(へつたう)は天台宗(てんたいしう)にして眺海山(ちやうかいさん)無量院(むりやうゐん)と号(かう)す祭禮(さいれい)は隔年(かくねん)八月  十五日に修行(しゆきやう)す放生會(はうしやうゑ)あり  延喜式神名帳云 武蔵國荏原郡御田郷   薭田八幡  武蔵國風土記残篇云 荏原郡御田郷薭田八幡   圭田五十八束三字田   所祭應神天皇也武内宿祢荒木田襲津彦等也和   銅二年己酉八月十五日始行神禮有神戸巫戸等 龍谷山(りうこくさん)功運寺(こううんし) 同所(とうしよ)聖坂(ひしりさか)にあり《割書:聖坂(ひしりさか)とはむかし此地(このち)に高野聖(かうやひしり)多(おほ)く|住(すみ)て開(ひら)きたりし坂(さか)なれはかく云(いふ)とそ》  曹洞派(さうとうは)の禅窟(せんくつ)にして三州(さんしう)龍門寺(りうもんし)に属(そく)す開山(かいさん)を黙室天周(もくしつてんしう)  和尚(おしやう)といふ支院(しゐん)三ヶ寺(し)あり當寺(たうし)は定會地(ちやうゑち)にして所化寮(しよけりやう)  あり當寺(たうし)境内(けいたい)に綱塚(つなつか)と称(しよう)するものあり《割書:綱(つな)か事(こと)は前(まへ)の三田(みた)及(およ)ひ|綱坂(つなさか)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》 【左丁】 周光山(しうくわうさん)済海寺(さいかいし) 聖坂(ひしりさか)の上道より左側(ひたりかは)にあり浄土宗(しやうとしう)にして  京師(けいし)智恩院(ちおんゐん)に属(そく)す上古(しやうこ)は竹柴寺(たけしはてら)と号(かう)して巍(き)々たる真(しん)  言(こん)の古刹(こせつ)なりしか中古(ちゆうこ)荒廃(くわうはい)に逮(およ)ぶ依(よつ)て法誉(はふよ)上人/念無和(ねんむお)  尚(しやう)中興(ちゆうこう)す《割書:その庭(には)海岸(かいかん)に臨(のそ)むて|沖(おき)より目當(めあて)の燈篭(とうろう)あり》  當寺(たうし)庭中(ていちゆう)の眺望(てうはう)は實(しつ)に絶景(せつけい)なり房総(はうさう)の群山(くんさん)眼下(かんか)にあり  て雅趣(かしゆ)すくなからす朝夕(てうせき)に漂(たゝよ)ふ釣舟(つりふね)は沖(おき)に小(ちひさ)く暮(くれ)て数點(すてん)の  漁火(きよくわ)波(なみ)を焼(やく)かと疑(うたか)はる群芳(くんはう)發(はつ)して緑陰(りよくいん)深(ふか)く風露(ふうろ)爽(さはやか)に  して氷霜(ひやうさう)潔(いさきよ)し四時(しいし)に観(くわん)をあらためて風人(ふうしん)の眼(まなこ)を凝(こら)しむる  一勝地(いつしようち)なり月(つき)の岬(みさき)といふも此辺(このへん)の惣名(さうめう)なり 竹柴寺舊址(たけしはてらのきうし) 済海寺(さいかいし)と同(おなし)隣(となり)の土岐侯(ときこう)の邸(やしき)の地(ち)其(その)舊跡(きうせき)なり  といひ傳(つた)ふ《割書:山岡明阿(やまをかみやうあ)云(いふ)按(あんする)に今(いま)の地(ち)は海辺(かいへん)にてしかも岡(をか)の上(うへ)なれは更級日記(さらしなにき)|にいへる所(ところ)にかなはす若(もし)いよ〳〵此寺(このてら)にてあらは昔(むかし)は外(ほか)にありしを》  《割書:後(のち)にこの所(ところ)へうつせしなるへしと云々|更級日記云》   今(いま)は武蔵國(むさしのくに)になりぬ殊(こと)にをかしき所も見えす濱(はま)も砂子(すなこ)