翻刻
【右丁】
碑文(ひふん)は猗蘭侯(いらんこう)撰(せん)す
嗚呼夫東物先生之墓也嗚呼先生復學於古歸道
鄒魯博究物理立言修辭徳崇名垂不朽莫大焉嗚
呼先生出也如日之升也乃影之及無所不照其朦
焉嗚呼實出先生天意可知也其為人其行状弟子
識矣享保戊申正月十九日六十有三卒姓物部茂
卿以字行銘曰洋洋聖謨世用惑久天降文運斯人
云受乃化乃弘徽猷維厚大業巳成日新冨有瑕其
不壽天奪斯人匪天維奪有司列辰嘻我小信瑕能
孚神盛徳不朽永于牖民
先生(せんせい)は荻生氏(をきふうち)本姓(ほんせい)は物部(ものゝへ)名(なは)雙松(さうしょう)字(あさな)は茂卿(もけい)字(あさな)を以て行(おこな)はる一号(いちかう)は蘐園(けんえん)
通称(つうしよう)は惣右衛門(さうゑもん)と云/父(ちゝ)は方庵(はうあん)と号(かう)して官医(くわんゐ)たり先生(せんせい)父(ちゝ)に従(したかつ)て南総(なんさう)に
住(ちゆう)す五歳(こさい)にして文字(もんし)を識(しる)十五/歳(さい)よく文(ふん)を属(そく)す家(いへ)極(きはめ)て貧(まつ)しく東都(とうと)に出て
力学(りよくかく)す業(きやう)成(なり)て柳澤侯(やなきさはこう)の挙(おこ)るに遇(あ)ひ食禄(しよくろく)五百石を賜(たま)はり編修惣裁(へんしゆさうさい)となる
享保(きやうほ)十三年戊申正月十九日に卒(そつ)す著述(ちよしゆつ)の書(しよ)八十/餘部(よふ)といふ
魚籃観音堂(きよらんくわんおんたう) 同所(とうしよ)浄閑寺(しやうかんし)といへる浄刹(しやうせつ)に安置(あんち)す本尊(ほんそん)は木像(もくさう)
にして六寸/計(はかり)あり《割書:面相(めんさう)唐女(たうしよ)のことくにして右(みき)の御手(みて)に魚籃(きよらん)を|携(たつさへ)左(ひたり)の御手(みて)には天衣(てんえ)を持(ち)したまへり》
縁起(えんきに)曰(いはく)唐(たうの)元和年間(けんくわねんかん)《割書:憲宗(けんそう)の|年号(ねんかう)なり》金沙灘(きんしやたん)といへる地(ち)に一人(ひとり)の美婦(ひふ)の
籃(かこ)を持(ち)して魚(うを)を鬻(ひさ)くあり見(み)る人(ひと)其(その)容貌(ようはう)の麗(うるは)しきを競(きそ)ふ
【左丁】
女(をんな)の云(いは)く我性(わかしやう)佛経(ふつきやう)を悦(よろこ)ふ若(もし)夫(それ)に通(つう)せむ人あらは夫(をつと)とせんと
云/其(その)中(うち)に馬氏(はし)なる人(ひと)あり是(これ)をよくす依(よつて)此(この)女(をんな)をむかへけるに程(ほと)
なく死(し)せり馬氏(はし)悲(かなしみ)に堪(たへ)す日(ひ)を経(へ)て後(のち)異僧(いそう)来(きた)りて馬氏(はし)と
共(とも)に塚(つか)を見るに霊骨(れいこつ)こと〳〵く金鎖(きんさ)となりて光(ひかり)を放(はな)つ是(これ)より
其(その)國(くに)こそりて三寶(さんはう)を崇(たつと)ふとなむ《割書:初(はしめ)金沙灘(きんしやたん)に應化(おうくゑ)まします妙相(みやうさう)を|あかめて魚籃観音(きよらんくわんおん)とは号(なつ)けたてまつる》
爰(こゝ)に當寺(たうし)の開山(かいさん)称誉(しようよ)上人/自(みつから)の師(し)法誉(はふよ)上人/肥州(ひしう)長崎(なかさき)に遊化(いうくゑ)の
頃(ころ)一老婦(いちらうふ)より此(この)霊像(れいさう)を感得(かんとく)し元和(けんわ)三年丁巳/豊前國(ふせんのくに)中(なか)
津(つ)といふ地(ち)に假(かり)に浄舎(しやうしや)を営(いとな)み御座(こさ)を構(かま)へて魚籃院(きよらんゐん)と号(かう)す
竟(つひ)に寛永(くわんえい)七年庚午/三田(みた)の地(ち)に奉安(ほうあん)せしを称誉(しようよ)上人/其地(そのち)の
所(ところ)せきを歎(なけ)き承應(しやうおう)元年壬辰/正(まさ)に今(いま)の地(ち)に移(うつ)し當寺(たうし)を
建立(こんりふ)す尓(しかりし)より緇素(しそ)ます〳〵渇仰(かつかふ)し衆人(しゆうしん)打群(うちむれ)て歩(あゆみ)を運(はこ)ふに
より霊應(れいおう)いやまし香煙(かうゑん)常(つね)に風(かせ)に靡(なひ)き梵唄(ほんはい)うたゝ林(はやし)に
こたふ