翻刻
【右丁】
潮見坂(しほみさか)
【図】
【左丁】
潮見坂(しほみさか) 聖坂(ひしりさか)の南(みなみ)伊皿子臺町(いさらこたいまち)より田(た)町九丁目へ下(くた)る坂(さか)をいふ
《割書:或人(あるひと)云(いふ)潮見坂(しほみさか)旧名(きうみやう)は潮見崎(しほみさき)と呼(よひ)たりしといふ古(いにしへ)はすへて此辺(このへん)に七(なゝ)崎あり|しと云/按(あんする)に潮見崎/月岬(つきのみさき)袖(そて)ゕ崎/大(おほ)崎/荒藺崎(あらゐかさき)千代(ちよ)ゕ崎/長南(ちやうなん)ゕ崎/是(これ)等(ら)を》
《割書:合(あは)せて七(なゝ)崎|といひしか》
伊皿子薬師堂(いさらこやくしたう) 潮見坂(しほみさか)より高輪(たかなわ)へ下(くた)る坂(さか)の左側(ひたりかは)にあり寺(てら)を醫(ゐ)
王山(わうさん)福昌寺(ふくしやうし)と号(かう)す《割書:天台宗(てんたいしう)城琳(しやうりん)|寺(し)に属(そく)す》本尊(ほんそん)薬師佛(やくしふつ)の像(さう)は智證大(ちしようたい)
師(し)の作(さく)にして右大将(うたいしやう)頼朝卿(よりともきやう)の念持佛(ねんちふつ)なりしといへり往古(そのかみ)相州(さうしう)
鎌倉(かまくら)の佐介谷(さすけかやつ)にありて薬師堂(やくしたう)といふ其のち騒乱(さうらん)の時(とき)住僧(ちゆうそう)護(こ)
持(ち)して當國(たうこく)品川(しなかは)の地(ち)に移(うつ)し奉(たてまつ)る《割書:今(いま)の御殿山(こてんやま)|の地(ち)なり》終(つひ)に寛永年間(くわんえいねんかん)
今(いま)の地(ち)に安置(あんち)すといふ《割書:今(いま)鎌倉(かまくら)佐介谷(さすけかやつ)に薬師堂跡(やくしたうあと)と|字(あさな)する地(ち)あり其(その)旧跡(きうせき)なり》
東鑑曰
建保六年戊寅十二月二日庚子右京兆依霊夢所
令草創給之大倉新御堂安置薬師如来像《割書:雲慶奉|造之》
今日被遂供養導師荘厳房律師行勇咒願圓如房
阿闍梨遍曜堂達頓覺房良喜《割書:若宮|供僧》也施主並室家
等坐簾中
《割書:按(あんする)に東鑑(あつまかゝみ)には此(この)薬師佛(やくしふつ)を運慶(うんけい)の作(さく)とし寺傳(してん)智證大師(ちしようたいし)とす又(また)東鑑に右(う)|京兆(けいちやう)とあるは北条右京太夫義時(ほふてううきやうのたいふよしとき)の事(こと)なり
》