翻刻
増田四郎事落城之日本丸尓て手を負死居申
候を細川越中守殿内沖野佐左衛門与申歩行
之者首を上け申候由に候大将之首取ゐ褒美
佐左衛門に知行千石給候由に候佐左衛門は
四郎とも不存候得共衣類結構に候つる故首
を上け候と申たる由承候扨四郎親は増田四
郎左衛門与申牢人尓て数年長崎に居申候四
郎五歳に成申候とき大文字書申候を希代成
義と申もて者やし進物なとに致し持たる者
も御座候き其後何之沙汰も無御座候へつる
か天草之内へ参山居致し以来吉利支丹之法
を勧め申候由生捕之者申候事《割書:佐野弥七左衛門覚書》
又載
寄手之諸軍勢手負死人之事
細川越中守忠利同肥後守光利父子之者
此条細川家島原軍記にくはしけれは古々
に略春
松平右衛門佐忠之者
討死 浜田五郎兵衛 松岡佐右衛門
梶川作左衛門 八田仁左衛門 林安左衛門