天保郷帳を翻刻!

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常陸国郷帳 - 翻刻

常陸国郷帳 - ページ 17

ページ: 17

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一高四百六拾三石六斗弐合    《場所:平須村》 一高千弐百六拾弐石六斗四升九合 《場所:大戸村》 一高七拾五石七斗九升三合    《場所:馬渡村》 一高五百拾八石六斗四升九合   《場所:前田村》           《割書:古者《場所:上野村》》 一高六百七拾石弐斗七升七合   《場所:植農村》 一高七百八拾六石六斗八升六合  《場所:長岡村》 一高弐百九拾石九斗九升四合   《場所:谷田部村》 一高千五拾石四升弐合      《場所:小鶴村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは平須村の高は332.281でここの高と違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには大戸村は4か所ありこの4か所の高の合計は1045.172でここの高と違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには馬渡村は4か所あり、このうち主たる高の松平蔵之介知行の高はここの高とぴったり一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには前田村は2か所ありこの2か所の高の合計は519.106でここの高にほぼ近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには植農村はない。角川地名大辞典の茨城県茨城町の上野村(近世)の項によると『「天保郷帳」では植農村として670石余』とありまた『天保年間長岡村の一部となる』とある。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには長岡村は2か所ありこの2か所の高の合計は1317.847でここの高と違う。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには谷田部村の高は291.002ででここの高にほぼ一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには小鶴村は2か所ありこの2か所の高の合計は848.083でここの高と違う。】