天保郷帳を翻刻!

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常陸国郷帳 - 翻刻

常陸国郷帳 - ページ 200

ページ: 200

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一高六百六拾七石四斗八升九合     《場所:内宿村》 一高千四百拾七石弐斗三升九合五勺八才 《場所:山田村》 一高弐百八拾壱石壱升六合       《場所:高岡村》 一高三百五拾壱石六斗三合       《場所:両宿村》 一高七百七拾石三斗三升九合      《場所:小幡村》 一高百八拾五名四斗六升壱合      《場所:西蓮寺村》 一高六百弐拾弐石九斗弐升五合     《場所:出沼村》 一高千百六拾五石六升七合       《場所:井上村》 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは内宿村の高は668.099でここの高に非常に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには山田村は6か所ありこの6か所の高の合計は1425.70378でここの高に非常に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには高岡村はないが、北高岡村(高375.170)と南高岡村(高281.016)が1か所ずつある。高からいうと旧高旧領では南高岡村が相当する。。一方角川日本地名大辞典の茨城県北浦町の高岡村(近世)の項に『明治初年頃までに北高岡村と改称。』とある。また同辞典の南高岡村(近世)の項には『「天保郷帳」375石余,「旧高簿」281石余(北高岡村375石余とあるものが当村の石高か)』とある。この後にこの天保郷帳に高375石余の南高岡村が出てくるので、旧高旧領では北高岡村と南高岡村を取り違えているものと思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは両宿村の高は352.398でここの高に非常に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースでは小幡村の高は816.414でここの高に近い。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには西蓮寺村はない。角川日本地名大辞典の茨城県玉造村の西蓮寺村(近世)の項に『もと出沼村のうちで(新編常陸),元禄年間までに出沼村から分村し,天保年間以後再び出沼村に合併したと思われる。』とあり、旧高旧領では出沼村に含まれているものと思われる。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには出沼村は2か所ありこの2か所の高の合計は808.385でここの高と違う。。天保郷帳の西蓮寺村と出沼村の高の合計は808.386で旧高旧領の出沼村の高とほぼぴったり一致する。】 【歴博の旧高旧領取調帳データベースには井上村は2か所ありこの2か所の高の合計は1165.06701でここの高に非常に近い。】